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マントラ瞑想について



2月26日

マントラ瞑想というものが、一部の人々の間で行われていますが・・・
マントラ瞑想というのは、瞑想ではありません。
なぜなら、マントラ瞑想は、意味のある言葉をとなえますので、
その言葉の一念が心にずっと残り、瞑想の「空」の境地には入れません。
マントラ瞑想をうまく活用すれば、いい自己暗示にはなります。
問題は、どんな言葉をとなえるか、ということになります。

よく分からないサンスクリット語などを唱えることには、意味がありません。
自分に分かる、日本語の積極的な言葉をとなえれば、意味が生まれます。
天風の誦句を自己暗示につかうことをおすすめしますが・・・
天風の誦句がむつかしいという、若い世代の人々には、それをわかりやすい
現代文にかきかえることをおすすめします。

マントラとは「真理を表わす言葉」です。
仏教的な「真言」と訳すのは、正鵠を得ていません。

天風の誦句の中でむつかしいものを、
現代文に訳してみましょう。

  自我本質の自覚 (=ほんとうの自分とは?)

  ほんとうの自分とは、
  水にも火にも侵されない、
  絶対に強く、また不朽不滅の
  霊魂である。

  人がこの信念をしっかりと
  自分の心にうえつけると、
  肉体的な苦しみも、
  人生的な悩みも、
  夢か幻のように、消え失せて、
  いつも、大きな歓喜の世界に
  生きられるようになる!

このような真理を表す言葉を自己暗示につかえば、
自分の心を強く、積極的にかえることが容易です。
1日1回唱えるだけで、1カ月もすれば、すっかり
自分が変わったことを感じられます。



(これは緑色の表紙の誦句集のなかにある、最初の誦句です。)





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TM 瞑想について


2月18日

最近、TM瞑想をする人がふえています。
TM瞑想というのは、「意味のない、短い言葉」をとなえることによって
集中をはかり、瞑想に入ろうとするものです。
しかし、天風式瞑想のくらべると、空の気持ちに入ることは、
なかなか難しいものです。人によっては、ある程度「無我」の境地に
入ることはできるかもしれません。
しかし、無念の境地に入ることは至難のわざです。

TM瞑想は、目をとじてやります。これは感心できません。
目をとじて瞑想をしようとすると、眠気が生じやすいだけでなく、
瞑想の求める「感覚の明澄」ということができません。

正しい瞑想は「半眼」で、1メートルほど先に視線をおとすのです。

瞑想についての世間の誤りは
瞑想のとき、感覚もなにもかも消えてなくなる、という
思いこみです。

瞑想のとき、感覚は明澄で、はっきりしているものです。
ただ、感情と思考は消えます。
つまり、瞑想のとき、音が聞こえたり、半眼に目の前にあるものが見えている
わけですが・・・その音や、目の前にあるものについての
感情は起こらないのです。
たとえば、クルマの音が聞こえても
怒りや悲しみ、あるいは喜びなどの感情はわいてきません。
また、クルマの音について、あれこれ考えません。
これが瞑想の正しい状態です。

TM瞑想では
「シリム・ヒリム・エング・エンガ」
といった意味のない言葉をくりかえして、集中をはかろうとします。
そのとき、雑念妄念は薄れるでしょう。
しかし、言葉を集中に利用するというやり方は、その音声のもつ
一念が心にのこり、無念無想にはなりがたいものです。

お気づきかもしれませんが・・・
「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華」といったお題目を
となえるのも、一種のTM瞑想です。
ただ宗教的才能のあるひとは、この種の瞑想で、ある程度の
高い境地に入ることがあるのでしょう。法然や日蓮はそういった
すぐれた宗教家だった、と考えてもいいでしょう。
しかし、ふつうの人にはなかなか
お題目をとなえて、瞑想に入ることは困難です。

天風式の瞑想は、ただ音に耳をかたむければいいので、
とても易しく、効果的です。だれにでもできる方法です。
天風式瞑想こそ、現代的で合理的な瞑想の方法です。





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密法について



天風は三つの密法を教えています。
1.安定打坐密法(=天風式瞑想法)
2.クンバハカ密法
3.プラーナーヤーマ密法

天風会では、この密法をなぜか省略しています。
それはまちがいです。
密法とは、「秘密の方法」という意味です。
密法とは、インド・ヨーガにおいては、
「導師が弟子にくわしく説明しないで、弟子が以心伝心で自得すべき方法」
という意味です。

したがって、上の三つの密法はインド人でも、はっきりと知りません。
天風の密法は、「きわめて価値の高い、容易に知ることはできない方法」を意味しています。
インドでヨーガを研究して師範の資格をもっている人でも、
密法については知らないのがふつうです。
多くのヨーガの研究者は、ただ外から密法を観察して、憶測で説明している場合が多いです。

天風は、ネパールで、インド・ヨーガのカリアッパ先生からヒントを得て、
上の三つの密法を正しく自悟自得されて、帰国されました。

たとえばクンバハカ密法の場合のヒントは、
「からだを徳利のようにせよ」という変なものでした。

天風先生は日本に帰ってから、惜しむことなく、
密法をくわしく、分かりやすく人々に説明をして教えました。
それでも、私たちは説明が分かっただけではだめです。
その本当のところは、自分で探究し身につけなければ
ならないものです。
天風先生自身も、クンバハカ密法については、
ほとんど一生、工夫し試行錯誤して、
80歳代も終わりの頃、
「おれもやっとクンバハカ密法が身についたよ」
と家族に言われたそうです。

天風式瞑想は、安定打坐密法と呼称されるように、とうぜん密法です。
いちおうその方法を理解しただけでは、ほんとうの会得にはなりません。
自分なりに工夫して、自分のものにする必要があります。
そのために毎日実践しなければなりません。
なんども天風先生の説明を服膺(ふくよう)して(=味わいながら理解しなおして)
年月かけて実行することでしか、密法は会得できません。

インドで導師が弟子に説明しないのは、安易に分かったと思うと、
その高い価値を認識しないからです。
インドでは言葉で説明して密法を教えると
教えた人に罰があたる、と言い伝えられているのは、
弟子が密法の正しい価値を見誤るからです。

天風は、
「悟って後に、実践せよ」
と言っています。
天風式瞑想を理解して、悟ったと思えば、そこから実践がはじまる、という意味です。

天風先生の密法は、神秘的な方法というわけではありません。
ただ「驚異的な価値がある方法」ということです。

ちなみに、仏教に密教というのがありますが・・・
天風先生の密法は、密教とは関係がない、と考えるのがいいでしょう。
無関係ではないのですが、その説明はきわめてややこしく、
話が学問的になりすぎて、得るところはありません。

天風の密法は、どんな占いとも関係ありません。
密法と称する占いが世間にはありますが、およそ占いというものは
どんなものでも、非科学的な迷信にすぎない、と私は思っています。






























マンガ 中村天風



講談社が数年前にだした『マンガ 中村天風』という本は、いい本です。
なかなかリアルに絵がかかれています。
マンガといっても、戯画というより、劇画です。
なによりも、「ど迫力」があります。

このマンガをかいた木村直巳という人は、マンガ家というより、すぐれた絵描きです。
練達のペン先するどく、ありありと現実を描き出しています。

ただし、『マンガ 中村天風』には、誤字や伝記的事実についての誤った認識が多くあります。
その主たるものだけを、次に記しておきます。
① 謀報は諜報のまちがい
② 天風先生が修行した場所は、インドではなくネパールで、ゴークという村です。
  ちなみに、この村は釈迦の生誕地にちかい。
③ 妻ヨシとの恋愛はフィクションである。

上記のような誤りは、天風会出版の本の通弊ですが・・・
それでもこの『マンガ 中村天風』は、天風の一生を知るに恰好の作品です。
そもそも、天風の生涯のくわしい正確な事実など知る必要は私はないと考えます。
知るべきは、天風の創案した、多くの修養の実践的な方法ではないでしょうか。