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天風の幼少のころ


5月1日

中村天風が幼少のころ、たいへん乱暴者だったことは、ご存知でしょう。
「私の子供ころ、乱暴者で、まるで織田信長の子供のころと同じだったなぁ」
というのが、天風の口ぐせでした。

 ケンカをして、相手の指をへし折ってしまったり、耳を引きちぎったりしたそうです。
この負けん気の強さが、のちの天風の求道精神をつらぬいた、ともいえるでしょう。ただ、道を説くことをはじめてからの天風は(40歳代のころから)、人への思いやりは強烈だったようです。

 天風は、子供のくせに第一高等学校の寮に、乱入したことがありました。
 たぶん12歳ころです。
 友達のひとりが、一高生(今の東大生)になぐられました。
怒った三郎(天風の実名)は「仕返しをしてやる!」と叫びました。
そして、長い棒をもって、第一高等学校の寮の食堂に、乱入したのです。
 
食堂では、たくさんの学生が食事をしていました。
 三郎は、長い棒をふりまわして、手当たり次第に、学生たちをなぐりはじめました。
 学生たちは三郎をとりおさえることができません。
結局、警官をよびました。
警官は三郎をとりおさえ、
「子供のくせに、なぜあんな乱暴をしたんだ」
 と、きびしく叱りつけました。
「友だちが一高生になぐられたから、ぼくが仇(かたき)をとってやったんだ」
 その事情をきいた警官は、三郎に同情したようです。
「おまえは、エライ! 名前はなんというんだ?」
「ぼくは名前を言えません」
「なぜだ?」
「だって、ぼくの親にいいつけるでしょう?」
 警官は、名前をきくのもあきらめて、けっきょく三郎を無罪放免としました。
三郎は、その警官に好意を感じたのでしょう。
帰っていく警官を追っかけて行って、
「おまわりさん、あなたの名前を教えてください」
と言いました。
「なぜ、おれの名前をきくんだ?」
「ぼくは、おじさんが好きになったからだよ」
「そうか、おれは小倉というもんだ」

天風は、この話をしたあとで、
「私は、今でも、その小倉巡査という名前をおぼえているし、尊敬もしている」
と、言われたものです。









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瞑想は睡眠に効く



4月18日

さいきん東京のある女性から電話がありました。
不眠症に悩んでいて、瞑想でなおしたい、という。
遠縁のまだ若い女性です。
テレビの放送会社に勤めているそうです。
忙しくて京都に来れないので、電話で瞑想の指導をしてほしというのです。

それで電話で1時間くらい、瞑想について話しました。
それから2,3日してまた電話がありました。
「なにも考えない、という瞑想の状態に入れない」といわれる。

いろいろなことが頭に浮かんできてしまう、という。
私は、
「想念が浮かぶ」ということと
「考える」ことは、ぜんぜん別のことであることを
くわしく説明しました。
彼女はよく納得してくれました。
想念が浮かんでも、それを追っかけていろいろ考えなければいいのです。
想念が浮かんでも、相手にせず、心を静かに静かにもっていけばいいのです。
リンの音やブザーに集中すれば、かならずそのあと静かな心になれます。

それから1週間して、また電話があり
完全に睡眠薬をのまなくなりました、という
大喜びのしらせがありました。

海外出張でジェットラッグが引き金になって、
睡眠薬を常用するようになり、もう何か月も毎晩クスリなしで
眠れなくなった、というわけです。

睡眠薬は悪い副作用があります。
一種の麻薬のようなもので、長く服用すると、かならず神経や胃腸がやられます。

何か月も睡眠薬を飲んでいる人は、やめることはきわめて困難です。

私は彼女が瞑想で睡眠薬をやめることができたことに
驚くとともに、我がことのように嬉しく思いました。

瞑想は睡眠薬よりはるかに、人を熟睡にみちびきます。
また深い快眠がえられます。もちろん副作用はありますせん。
これはよく知られたことです。

彼女は健康を回復しました。
私の遠い親戚の女性で昔からよく知っている人です。
明るくて活発なお嬢さんです。

瞑想がうまくなると、信念が強くなります。
信念の強い人は、なにをやっても上手にできる人間になります。
かならず世の中に出て成功します。






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お釈迦さんと天風先生



4月8日 2014年

お釈迦さんの言行を知ると、お釈迦さんがヨーガの行者であり、
天風先生と似ていると、感じることが多い。

日本人のもっている仏教のイメージは
だいたい中国経由だからだろう。

お釈迦さんのことばを直接知ると、
とても素朴です。

それはパーリ語の経典で見ることができるのです。
その日本語訳は、中村元氏のものが信頼されている。

お釈迦さんが生まれたのは、ネパールのルンビニーというところ。
ルンビニーは、天風がヨーガを修行したゴーク村に近い。

お釈迦さんが亡くなる前にその故郷へ旅をされた。
故郷のルンビニーが近くなってきたとき、
なんども「なつかしい」というネパール語で、気持ちを表現された。

中村元さんは、英語には「なつかしい」という一つの単語はない、という。
日本人とネパール人は、どこか民族性が似ている、という。

お釈迦さんは、ふるさとが懐かしいといって、
「世界は美しいものだ!」」と感嘆された。
そして、「人生は甘美なものだ」
と言われたとか。

天風先生も同じことを言われたものです。
「人生は楽しく嬉しいものだ。
けっして苦の娑婆ではなく、
ほんらい幸せで、喜びにあふれたもbのだ」と。

お釈迦さまの最後の教えは
「自らを灯(ともしび)とせよ」ということばだった。
天風先生の暗示の誦句には、
「人は宇宙霊のもつ無限の力とむすびうる、奇しきはたらきをもつものを
保有している。したがって、他に力をもとむるなかれ」
とある。

しかし、天風は
「人間は、大きなものに生かされている」
「人は、見えざる宇宙霊の力に包まれている」
ともいわれる。

人には、自力と地力の両方があたえられている、
ということですね。

いずれにせよ、パーリ語の経典にあらわれる、お釈迦さんと
天風先生のイメージは、よく似ていて、
力強く、たのもしい感じがします。









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愛の人天風先生



4月2日 2014年

直接天風を知らない人々は
天風といえば、厳粛で、近寄りがたい人
という印象をもっておられることが多い。
しかし、天風は、もうひとつの違った面、つまり
愛の人という面もありました。
性的な愛についても、おおらかでした。
夫が冷酷であったので不倫の恋にはしった女性を
弁護し庇護されたエピソードもあります。

これは、東京のある女性から聞いた話ですが・・・
夏の修練会で、女子高校生ばかり10数名あつまって
天風先生と円座になって昼食会をしたときのこと・・・
食後に先生は、女子高生たちに一言お話になった。

「女の子は、男の子に好かれるようになるといいね。
男の子は、女の子にすかれるようになるといいね。
さらに、女の子はほかの女の子に、
男の子は、ほかの男の子に
好かれるようになると、もっといいね」

と言われたそうです。
この単純明快な話のなかに、私は愛にかんする
天風先生の奥のふかい哲学を感じます。

天風先生は「愛」と言う言葉を使うのをさけられました。
天風先生は「愛」というかわりに「好きになる」「好かれる」
を使われました。また「思いやり」をつかわれました。
また、真善美のなかの「善」とは「愛」のことです。

(愛にはキリスト教や、恋愛の連想があるので、
さけられたのではないでしょうか)

「善」とは、すべての物、すべての人への愛でもあります。

天風先生は、夏の修練会では、日本刀をつかった荒業(あらわざ)
をよく披露されました。
たとえば、日本刀を2本、刃(は)を上向きにして、木の枠組みに
固定し、その刃のうえを素足で歩いて渡る、というような荒業です。
しかも男の弟子どもに、おなじことをやらせました。
これは集中力と胆力の訓練でした。

日本刀の刃というものは、直接手や足を押しあてただけでは
なかなか切れないものです。でも、刃をちょとでも滑らせるとスパッと
切れます。

こんな荒業をやる先生と言うものは
とてもきびしい印象がありますね。
じっさい、天風先生は、きびしく尊厳で犯しがたいものを
もっておられました。
しかし、反面「愛の人」でもあったのです。

緑の「誦句集」のなかに、天風の次の言葉があります。
「・・・わが心のなかに、なにものをも憎まざる
愛の情を豊かにすることに専念しよう。・・・
この心がけの徹底にひたぶる精進をなそう!・・・」
















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