天風先生の右半身 2014.6.25
天風先生の右半身
天風先生は、日露戦争に従軍して、
敵に追われ高い崖からとびおりて、
人事不省におちいり、数日間意識を失って
倒れていました。
そのとき、左半身をはげしく地面にぶっつけ、
そのあと後遺症が、ずっと死ぬまで残りました。
右半身に、いろいろな障害が残ったのです。
つまり、右の耳、右の眼、右の肺が
なかば機能をうしなったのです。
大阪大学の眼科医、山田保夫さんは、
天風先生の眼を診察し、
右眼の中央部に大きな暗点(大きな黒い点)
があり、半ば失明状態である、
と言われました。
しかし、天風先生の両眼は、眼光炯々として、
私には、きわめて鋭敏にさえ見えました。
天風先生は、晩年でも耳は遠くありませんでした。
それでも、医学的には障害があったそうです。
天風先生はいわゆる心眼の開けた人でした。
ですから、人と対応するとき、相手の
思っていることは、お見通しでした。
それで、耳も眼もはっきりとしている、
とみんな思いこんでいました。
京都の修練会には、京都大学の医学部の
先生がいつも二人おみえでした。
彼らは、天風先生の身体機能に関心があった
そうです。
天風先生は、70歳代、80歳代でも、20代の青年に
負けない元気があり、健康そのもので
溌剌としておられました。
しかし、京都大学の医学教授によると、
右の肺は、結核菌によって、
ほとんど溶けてなくなり、
どうして、あんな元気な声がでるのか、
不思議だったそうです。
天風先生はどんな病があっても、
超然として問題にせず、いつも
自分が生きている、という事実に
感謝し、人々の幸せのために
身をささげる喜びにあふれておられた
ということです。
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不安について 2014.6..18
現代人の特徴は、不安をもっていることだ、
とよく言われます。
天風は
「現代人のもつ不安は、現代文明が
精神文化を育てず、
物質偏重の文化をもっているからだ」
と言われました。
だから、私たちは、精神(つまり心)を大切に
する文化をそだてるべきです。
天風は
「とくに現代のマスコミが発信する
消極的な暗示が、現代人に悪い影響を
あたえている」
と注意しています。
現代人は、昔の人にくらべて、より強い
不安を感じているのでしょうか。
私にはよくわかりません。
源氏物語などを読むと、平安時代において
多くの人が物の怪や、生霊、死霊の存在を信じ
恐れ戦いているさまが描かれています。
昔の人々が、ありもしない超自然的なものに
対して、いわれのない不安や恐怖をいだいていた
のではないでしょうか。
ただ、昔のすぐれた人々は、肝っ玉が
すわっていたようです。
戦国時代の武将は、死をおそれぬ勇気をもって
いました。
また、幕末に活躍した人々も、いつでも命を
すてる覚悟をもって、果敢な行動をしたようです。
かれらには、不安などみじんもなかったのでしょう。
歴史的なことはともかく・・・
私たちは不安などとは無縁な人生を
いきたいものです。
不安にうちかつのは信念です。
信念を煥発するには、なによりも
自己暗示の誦句です。
先日、天風の愛弟子であった杉山彦一さん
(私の先輩)の小文を読んでいて、やはり
信念の煥発には、暗示の誦句がいちばんだ、
と断言しておられるのを知って、私はたいへん
はげまされるものを感じました。
それが、私が拙著『すべてはよくなる』に書いた
ことだったからです。
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悩みがあってもいい 2014.6.12
悩みがあっても、悲観しない。
雑念がおこっても、心配しない。
ひたすら瞑想と自己暗示の誦句を
となえていればいい。
悩みは消えていきます。
雑念も消えていきます。(でも、また浮かんでくる)
天風先生でも
「悟りを開いたあとの、悩みの方が前より
大きかったのですよ」
と述懐されたことがある。
もっとも先生の悩みは
「自分の弟子の中に、教えを真剣に実践しない人が
いる」と知ったときの悔しさでした。
レベルの高い悩みで、ふつうの個人的な悩みでは
ありませんでしたが。
それでも・・・悩みは悩みです。
この仮の現象世界に生きている限り、
悩みがすっかりなくなると
いうことはないのですね。
雑念も時に心にうかんでくる。
「事あるも事なきがごとく、心は
春の海のごとくあらん」
というのが、天風の教えです。
これを仏教のほうでは、
「煩悩即菩提(ぼんのう・そく・ぼだい)」
と言っています。
「煩悩」とは「悩み」
「即」とは「同時に」
「菩提」とは、この場合「悟り」
です。
煩悩即菩提とは、「悩みがあってもいい、そのまま
悟りましょう」ということ。
なんとかいう有名なマンガに、
「それでいいのだ!」を連発する
愉快な主人公がいます。
藤子不二雄?でしたか?
マンガもバカにはできません。
煩悩即菩提を「それでいいのだ!」と
訳しているのです。
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バルテュスと節子さん 2014.6.5
画家バルテュスの展覧会が、今東京で開かれています。
次に京都で、7月5日から開かれます。
そして、バルテュスの未亡人である節子さんも来日しておられます。
この節子さんは、天風の自慢の弟子でした。
天風の講演を(CDでも)聞いたことのある人は、
例の「潜在意識の内容の改善」(=観念要素の更改)の中に出てくる
節子さんの名前を記憶されているでしょう。
「潜在意識の内容の改善」とは、
夜眠る前には、できるかぎり楽しいこと、嬉しいことを、
(つまり、積極的なこと)
心に思わせなさい、という方法ですね。
この方法の説明の時に、天風はしばしば、こう言われた。
「眠る前に思ったこと、考えたことは、無条件に潜在意識の中に入る。
だから、眠る前は、自分の心を“真綿で真珠を包むように”
大切にしてあげなさい」
この天風の話を、講習会で聞いた節子さんは、家に帰って、
お母さんにこう言ったそうです。
12歳くらいのときです。
「真珠のネックレスを、今晩私にかしてちょうだい」
お母さんは、ちょっとビックリして
「なぜ? あなたはまだ、真珠を身に着ける年齢じゃないわよ」
節子さんは
「だって、今日天風先生の話を聞いたら、
真綿で真珠を包むような気持ちで、眠るまえの心を大切にしなさい、
とおっしゃるから、私は枕元に真珠を真綿に包んで、
それを見てから眠りたいの」
と答えたという。
なんという、実行力のある、まっすぐな心ばえでしょう!
バルテュスは、1962年に来日しています。
そのとき節子さんと出会い、また天風を自宅にたずねて話をしています。
当時バルテュスはローマの“アカデミー・ド・フランス”の館長という
名誉ある肩書きをもっていましたから、
だれからも信頼されたことでしょう。
54歳のバルテュスは、19歳の節子さんに一目ぼれして、
まず絵のモデルを依頼し、ついで求愛したそうです。
節子さんは当時上智大学に入ったばかりで、
フランス語の会話を学んでいました。
バルテュスはフランス語を主に話しましたので、
ふたりの間にはコミュニケーションが成立したことでしょう。
バルテュスには既婚の妻がいました。(のちに離婚しますが)
それでも節子さんは、バルテュスの求愛を受け入れ、
この画家が死ぬまで、全身全霊で尽くしたそうです。
それが多くの困難をともなうことは、はじめから予想できたはずです。
節子さんは、バルテュスの伴侶となる決意をしたときの心境を、
つぎのように語っています。
「天風先生のおっしゃる、たった一度の人生――
ですから、思い切り人生をドラマテックに生きたい、
それが私の夢でした」
私は、この節子さんの夢を、すばらしいなぁ、と思います。
さらに、その夢を現実化しようとする決意を、讃仰します。
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