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英語の本のこと 2014.7.30


英語の本のこと

先の日曜(7・27)「ざく天」の人たちとランチをともにしました。そのとき、私の英語の本の話をさせていただきました。
ありがとうございました。

そのとき、
「本だけでは、分からないところがある。瞑想は実地に勉強しないとね」
という発言がありました。
そのとおりです。だから、私は天風塾とつくって、実際に一緒に坐って、鈴の音やブザーを聞いて、説明します。
それで、たいていの人は、納得されるようです。

しかし、世の中には、私の瞑想にかんする本を読むだけで、完全に理解して、実践している方々がいます。
たいていは専門職の方で、読書力のすごい人がおおいです。

天風も「瞑想をマスターするには、理入と行入のどちらも必要です」と言われました。しかし、理入といっても、難しい理屈を知る必要はまったくないのです。
ただ、瞑想をなんのためにやるのか、という自覚がないと、実践がつづきません。

人それぞれですが・・・
瞑想は「我とはなんぞや」を自覚するためです。
瞑想は霊性の発現のためです。
瞑想は「イヤなことを忘れるのが上手になる」ためです。
瞑想はいわゆる悟りを開くためです。
etc.etc.

ところが・・・瞑想を毎日やっている人は少ない。
ざっと、私の知っている人だけですが、おもいだしてみて、全国で30人くらいかな?
これらの人に共通していることは、
*健康(病があってもまけていない)
*お金に不自由しない
ということです。

もっとも、私の知らない人で、天風式瞑想を実行している人は、
天風会の会員以外でも、何千という人がいるにちがいありません。
私の周辺にも数人の方がいます。
そのひとりは、私の恩師、安藤昭一先生でした。

安藤先生の話は、またの機会に書かせてもらいますので、よろしくお願いします。








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英語の本 2014.7.25



私は今年の6月に、The True Paths to Meditationという本を出版しました。
天風先生から学んだ瞑想の方法について、くわしく説明したものです。
はじめはe-book(電子書籍)として上梓し、今月7月にはいって、ペーパーバックスの印刷された本がでました。

出版社はサンフランシスコのMichiPublishingで、定価は16ドル(約1600円)です。
この本の出版に際しては、UCバークレイ校の近くで天風先生の心身統一法を教える道場をもつ
Davey(デイヴィ)さんから大きな支援をいただきました。

Daveyさんはすでに去年The Teachings of Tempu(=天風の教え)
と題する大部な著作を発表されています。
Daveyさんの本は、世界で初めて中村天風の教えを英語で解説し紹介したものです。
私の本は世界で初めて英語で、天風式の瞑想法(=安定打坐密法)を説明したものです。
いずれの本も、Amazon.comで、世界の20か国で発売し、順調に売れています。出版社の話では
「ものすごく」tremendously売れております、ということです。
皆様方にも、よろしくご支援のほど、お願い申し上げます。








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日本人と宗教 2014.7.18



ある青い目のお坊さんが、『日本人には宗教は必要がない』という題の本を書かれました。何万と売れたそうです。私も買ってよんでみましたが、大いに疑問を感じました。
そのお坊さんは、日本人は和の精神を大切にして生きているから、宗教など必要がない、とおっしゃるのです。日本人は自分よりも他人の幸せを願って生きている、とも言われます。そして日本人の精神を絶賛しておられるのです。

ほんとうにそうでしょうか?
たしかに外国とくらべると、日本人は争いごとを避け、自分より家族の幸せを優先している人が多いです。
しかし、現代の日本人は、信念がなく、しっかりした人生観をもっている人は、きわめて少ないです。
私は、むしろ外国で、強い信念をもち、確乎たる人生観をもっている人を多く見ました。
しかし、そのような人はかならずといいていいほど、クリスチャンでした。クリスチャンの方の多くは、内心ほかの宗教に対して、不信、軽侮、あるいは対立の気持ちをもっています。

かえって宗教的な信仰は、ほかの宗教と対立することが多い。その結果、争いごとが起きると、戦争にまでいってしまうのです。イスラエルでは、パレスチナのイスラムとユダヤ教の対立は深刻で、それが戦火のもとになっております。解決の道がありません。何千年とつづいてきたし、これからもあの地では平和はないでしょう。
その点、日本人は宗教的な信仰にこらない人が多いので、平和がたもたれやすいです。日本人に宗教はいらないでしょう。

でも、今の日本人は強い信念をもつことに努力しなければなりません。不安を感じている人が多くいるからです。そして自分なりのしっかりした人生観をもつ必要がある、と思います。同じ人生観を日本人が共有する必要はありません。人生観はそのひと固有のものだからです。

ところで、天風は信念を煥発する方法をつくりだしました。「信」の大切さを説く思想家は数多くいるけれども、それを現実にする方法を教えてくれる人は他にいないでしょう。

また、天風の人生観は、けっして押しつけるものではありませんが、それぞれが自己の人生観を確乎たるものにするために、おおいにその「しるべ」(=道標)となるものです。天風は、自分の人生観は人に強要しない、と断言しているのです。そこが天風の偉いところではないでしょうか。





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瞑想についての質問ーつづき 2014.7.7


瞑想についての質問② 2014.7.7

前回のつづきですが・・・
質問の②は
「瞑想中に、クルマの音がきこえてきます。これもいいのでしょうか?」
でした。
その答えは
「それでいいのです」(or 聞き流せばいいのです)

この質問をいただいたとき、正直なところ・・・
「この人、いったい何を考えているの?」
と思ったのですが・・・たしかにこんな疑問を持っている人が意外に多いということに、
だんだん気がつくようになりました。
それは瞑想についての、ひとつの大きな誤解です。
つまり、
「瞑想とは、目を瞑(つむ)って何も見ず、耳も何も聞かないものだ。
だって心を空にするんでしょう? 無我の境地ともいいますね」
という誤解です。

瞑想のとき、見る、聞くという感覚は
、むしろふつうの時いじょうに、はっきり(鋭敏)になっています。
しかし、見えているもの、聞こえてくる音について、
あれこれ思ったり考えたりしないのです。
感情と思考は消えています。

数年まえ・・・私のすぐ隣の空き地に新しい家の普請がはじまりました。
ものすごい音が連日つづきました。
私は毎朝瞑想をするのが習慣です。これはちょっと困ったな、と思いました。
瞑想の時間をかえるべきか、と思いました。
しかし、習慣の力は強いもので・・・私は朝に瞑想をせずにはおれないのです。

それで・・・とにかく新築工事の騒音の中で、
私は鈴の音に耳をすませて瞑想をはじめました。
正直、ときどき心は乱されました。
しかし、やっているうちに、それほど騒音が気にならなくなってきました。
私の隣家は立派な門構えの家なので、数か月は工事がつづいたと思います
。それでも毎日瞑想をすることができました。
そして、工事がすべて終了したとき、
私は自分の自尊心に大きな満足すらあたえられた、
とでも言うべきでしょうか?














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瞑想についての質問 2014.7.6




 天風塾を開いてから、1年2か月がすぎました。
 この間、来塾いただいた求道心あふれる方々、
また講義に私をまねいてくださった方々に、
深い感謝をささげます。
また、いろいろな面で声援をくださった方々にも、
あつく御礼もうしあげます。

 さて、この間、なんども私は、
天風式瞑想法(=安定打坐密法)をお教えしました。
 ふりかえると、私の心にのこった2つの
ご質問があります。
① 瞑想中の呼吸は、どのようにするのですか?
② 瞑想中にクルマの音などの騒音がきこえてくる
のですが、それでもいいのですか?

今日は①の質問に、あらためてお答えします。
正直なところ、はじめてこの質問をきいたとき
「なんという愚問!」とおもったのですが、
あとから考えると、これはもっともな質問であり、
良問といってもいいでしょう。なぜなら、
それは瞑想の核心をついているといえるからです。

瞑想中の呼吸はどうするのか?
答えは――「呼吸について考えない」です。
なぜなら、瞑想の極意は、
自分の身体的状態を忘れきる、
ということだからです。
心に「深い静けさ」を味わう、というのが
瞑想の核心ですね。
そのとき、心はなにも考えていません。
とうぜん自分の呼吸についても
忘れているのです。

ただし、瞑想の準備として
「調息」というものがあります。
「調息」とは呼吸を調えるということです。
天風先生は「深く、静かで、長―い息をしなさい」
と教えられました。
それはプラーナーヤーマ密法のことですね。
プラーナーヤーマ密法が「調息」になります。

しかし、ひとたび瞑想のために坐れば、
呼吸のことは、いっさい忘れるのです。
忘れる努力はいけません。ブザーや鈴の音に集中すると、
自然に忘れられます。

② の質問、騒音のことについては、次回に書きます。






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