緑の天風誦句・現代訳
自己の霊と宇宙霊 2015.1.22
真の自己の生命とは、純粋で清らかな
霊という気体である。
しかも、自己の「霊という気体」は、
宇宙霊の直接の分派である。
宇宙霊は、宇宙を創造する絶対的な力である。
その宇宙霊の分派である
人間の生命はまた、絶対的なものである。
その絶対的な力をもつ人間の生命に、
どうして、悲しみ、苦しみ、恐れ、
といった忌まわしいものが、
みだりに襲いかかってくるはずがない。
なぜなら、そのような消極的な感情は、
いずれも人の心の中に生じる
相対的な、仮の現象にすぎないからだ。
(緑の誦句集「自己本来内省の悟り」の前半部)
ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』を読みました。
信念の重要性を、みごとに表現しています。
しかし、信念をもつための具体的な方法については、おおいに問題があります。
ナポレオン・ヒルは、「あなたが実現したい、とおもっている願望を、紙に書き出し、毎日それを声にだして読みなさい」と言っていますが、このような実践には、大きな疑問があります。
たとえば「部長になりたい」「課長になりたい」というような願望を書く、と仮定しますと・・・それはきわめて利己的な卑しい願望であって、たとえそれが実現したとしても、私は感心しません。
他の人を押しのけて、自己本位にそのポストに邁進するということになる可能性が高い。そうではなく、課長や部長になるに相応しい、自己向上を願望にすえなければなりません。さらに言えば、高いポストになるのに、ふさわしい人格や能力を研くのが先決です。
そのためには天風哲学が教えるような自己向上のための実践(たとえば、潜在意識の改善、瞑想、自己暗示、官能の啓発・・・)を、願望として求めるべきではないでしょうか。
ナポレオン・ヒルのような思想は、読む人によっては、社会に害毒をもたらす。私は、この本を読んで、とても嘆かわしいきもちになりました。
私にとっての願望とは、上の天風誦句にかかれているような人間になることです。それ以外の願望も、もちろんあります。でも、いちばん上に、積極的な頼もしい人間になって、人の世のために役立つことを、私は自分の願望としたい。
誤解のないように、重ねて申しますが・・・
課長になる、部長になる、という願望が、悪いとはおもいません。だれでもそういう現世の欲望をもって生きるものです。ただ、そのために正しい自己向上を念願してほしい。
これが私の切なる念願です。
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緑の
(2)宇宙の法則 2015.1.16
かりに人生行路の中途、
悪い運命の濁流になげこまれようとも、
また不幸にして、病魔のとりこになろうとも、
ゆめにも苦しんだり、悩んだりしてはいけない。
宇宙の法則は、明らかに
つねに、すべての現象を流転している。
だから、今日の不幸も
明日の幸せの前兆である。
ただ一心に自分の心の力を信じれば、
自分の霊魂にやどる力は、
その威力を発揮して、
宇宙の法則にしたがって、
自分のなかにある、悪魔も妖怪も
いな、いっさいの汚れたものを
打ち砕き、
私たちを正しい方向へと導く。
こうして、人生を苦しめる煩悶や苦悩は、
たちまちにして消え去り、
私たちの世界はここに一新され、燦々と輝き、
溌剌とした尊い人生があらわれてくる。
(「自己陶冶」の後半部)
この誦句は、苦しみのドン底におちこんだり、
不幸にして病魔のとりこになったときに
励ましてくれる暗示のことばである。
しかし、暗示の誦句なるものは、
平素からとなえていないと、効果はない。
いわば不幸や病魔から自分をまもる盾となるのが、
自己暗示のことばなのです。
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自己陶冶の誦句・現代訳
(1)自己向上
自己陶冶、つまり自己を向上させることは
人間として当然の責務である。
そして、自己向上は他人に頼らず、
自分自身で行うべきである。
自己向上を実現するには
瞑想を実行し
心を明澄に、清らかにするほかはない。
昔の偉い人も言っている。
「新しき計画の成就は、ただ不屈不撓の一心にあり」
瞑想のあとに、自己暗示のことばをとなえて、
気高い理想と、高級な想像を、
強烈に、自己の心に植えつけよう!
(緑の誦句集の「自己陶冶」の現代訳)
解説――「自己陶冶」の誦句も長いので、2つに分けました。
この誦句は、天風式瞑想法や誦句を唱えること
――その実行をする「やる気」を自分にうえつけるための
自己暗示の誦句です。
実行すべきである、よく分かっていても、なかなか
実行できないことがある。どうしたらよいでしょう?
「やる気」のでるような自己暗示を毎日自分に
くりかえすといいのです。
私のような怠け者でも、毎日なんとか実践をつづけられて
います。それは、このような自己暗示をしているからです。
実践すると自己向上できます。
自己向上を実感したときの喜びは大きいです。
人生のいろいろな喜びのなかでも、
もっとも大きいかもしれません。
「私のような怠け者」というのは、謙遜ではありません。
誦句を20代のころやっていながら、だんだんサボッテ、
60歳ごろから一念発起して、やりはじめたのですから、
30年ものあいだ、怠けていたのです。こんな怠け者はいないでしょう?
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緑
霊性の発揮(2)
自分の本体は、心でもなければ肉体でもない。
自分の本体は、ただ一つの絶対的な霊魂である。
心も肉体も、霊魂のもつ道具にすぎない。
だから、心や肉体から発生する
煩悩に執着して、
低劣な気持ちに踊らされてはならない。
霊性心を発揮して生きれば、
自由自在の人生に生きられる。
だから、毎日かならず瞑想を実行しよう。
すると、霊門の扉は心の中で静かに開かれる。
そして、妙なる魂の囁きを聞くことができる。
(緑の誦句集の「霊性の発揮」後半の現代訳)
上の誦句の「低劣な気持ち」というのは、
消極的な、ネガティブな感情、
すなわち、卑しい欲望、競争心、嫉妬、憎しみ、怒り、といったものです。
「魂の囁き」というのは、
霊魂から出てくる判断である。良心のことでもある。
天風先生の愛読されたカントという哲学者は、
良心の働きが霊妙なもので、これに従えば人生に
間違いがない、と主張しました。
あるときカントは、ある大学から高額な給料のでる教授の職に招請されました。
カントはそのポストにたいへん魅力を感じ、
招請を受けたいと感じたのですが、
自分より優秀で適任の人のいることに気づき、
自分の欲望より良心、つまり魂の囁き、にしたがって、
その人を推薦し、自分は辞退しました。
その結果は、かえってカントの人格が高く評価され、のちにもっと有名な大学のポストに哲学教授として招かれることになりました。
それよりもカントは、自分の良心に従ったことに大きな感動を覚えた、と述懐しております。
カントの墓碑には、つぎのようなカントの言葉が彫られています。
「この宇宙には、美しい感動的なものが二つある。
ひとつは夜空に浮かぶ星座の数々であり、
もうひとつは、自分の心にそなわった良心である」
(これは原文のとおりではありませんが、
カントの言いたかったことは、良心(原文では道徳律)です。)
天風先生の人生観は、このカントの思いに強く、脈々とつながっていたと思います。
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