天風と王陽明(2) 2015.2.24
天風と王陽明(2)
天風の講話のなかの引用部分が、かならずしも正確ではない、とまえに申しましたが・・・
それが、天風の講話の趣旨をゆがめることはありませんでした。
講話のキーポイントは、つねにはずさなかった、と思います。
読書をしても、めったにメモをとらない天風の記憶力は、おどろくべきものです。
王陽明の思想は、天風の生きた明治・昭和の時代には、常識的なものでした。
したがって、天風哲学の根底には、王陽明がながれています。
それは、なかば無意識的なものだったでしょう。
王陽明は、倒幕の思想に活力をあたえた。
王陽明は、幕末の志士にとって、いわばインスピレーションだった。
王陽明は、士大夫、町民、庶民、を差別しませんでした。
それは身分制度を否定する、当時としては、革命的な考えです。
ですから、その一種の革新的な平等主義は、徳川の幕藩体制をゆるがしたのです。
明治維新の精神のなかに、王陽明がいた!といえるのではないでしょうか。
そして、明治の時代を築いた人々は、陽明の考えをひきついだ、と思います。
初代の首相、伊藤博文は、師吉田松陰のことをのちに熱情をこめて人々に語りました。高杉晋作の思い出話もよくしたようです。
吉田松陰も高杉晋作も王陽明にまなんだひとたちです。
この二人は、若くして愛国の精神に殉じたのですから、その精神は、死後たかく顕彰され、評価されたのです。日本人はいつも、なにかに殉じて命をすてた人を尊ぶ伝統をもっています。
吉田松陰も高杉晋作も、王陽明の「知行合一」の教えをまっすぐに実行しました。そして、激しい行動へ邁進し、死んだのです
西郷隆盛もそうです。彼らの熱烈な精神は死ぬことによって、明治・大正をつうじて、生き続けたのです。
さらには、昭和に入って、たとえば2・26事件の若い将校たちは、
昭和の吉田松陰たらんとして、死をも恐れなかった。そして死んでいった
天風にも陽明の思想は生きていた。
天風にとって、陽明の「知行合一」の考えは、強いものでした。
それは実践、行動の精神です。
もともと天風は、血の気のおおい行動家でした。
ですから、天風は哲学者を任じていましたが、書斎にとじこもって思索するというより、実践家practitionerという面がつよかった。
しかし、物を考えねばならぬ時はまた、徹底した追究者でもありました。
天風は坐禅を真剣におこない、誦句をとなえ、官能の啓発に精進したひとです。
天風のすみきった心と、強い信念と、強烈な集中力が、心身統一法という実践哲学のみごとな体系を創造した、と私は思います。
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天風と王陽明 2014.2.20
天風と王陽明 2014.2.20 ブログ
天風は多くの思想・哲学・宗教を勉強しました。
たいへんな読書家で、自宅には書庫があり、膨大な書籍を蒐集していました。しかし、読書のしかたはふつうではなく、自分に関心のある部分をさっと読んで、あとはその本は書庫へいれてしまうので(しかも、メモもあまり取りませんので)、天風の講話にでてくる引用は、かならずしも正確ではありませんでした。しかし、天風はそのようなことは、あまり意に介しませんでした。
それらの天風が読んだ思想家のなかで、とくに中国の哲学者、王陽明は天風に大きな影響をあたえています。
王陽明と天風哲学との共通点はたくさんあります。
なぜでしょう?
天風は頭山満の薫陶を受けて育ちましたが、頭山は王陽明の思想の流れをくんだ人だからです。
頭山は西郷隆盛も思想や信条を受けついだ人ですが、西郷は陽明におおくを学んでいます。
王陽明に学んだ幕末の志士は、西郷隆盛だけではなく、ほとんどの志士は(とくに尊王攘夷を旗印に活動した志士は)、王陽明を勉強したようです。たとえば、
吉田松陰
高杉晋作
勝海舟
天風哲学と王陽明の共通点は、次のような内容です。
1. 儒教は仏教を攻撃したものですが、陽明は仏教にも関心があり、とくに禅をまなんだ。天風も禅を学んだ。
2. 仕事の上で自己を練磨せよ。これは出家の否定です。
3. 心には、善悪を判断する心(理性)と善悪をこえて行動する意志(霊性)の2つがある。
4. 身分の上下をあまり問題としない。天風は平等主義者だった。
5. 欲望の肯定。
6. 知行合一。知識と行動を一致させよ。
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緑の天風誦句集・現代訳
正しき活き方の自覚
私はもう境遇や人を恐れない。
私は立派な自己の運命の主人である。
したがって、私の心は、
私の環境からの、なにものにも
脅(おびや)かせられない。
いな、私の心はつねに、私の人生のために
よりよい環境をつくることのみを、
正しく考える。
宇宙霊は、私の心に、
なにごとも積極的に考えられる、
頼もしい意志の力をあたえられている。
そして、意志の力は、
まるで金属をひきつける磁石のように
人が生きるのに必要なものを
自分にひきよせてくれるのである。
(緑の天風誦句集、「正しき生き方の自覚」より)
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の
10.正しき活き方の自覚
私はもう境遇や人を恐れない。
私は立派な自己の運命の主人である。
したがって、私の心は、
私の環境からの、なにものにも
脅(おびや)かせられない。
いな、私の心はつねに、私の人生のために
よりよい環境をつくることのみを、
正しく考える。
宇宙霊は、私の心に、
なにごとも積極的に考えられる、
頼もしい意志の力をあたえられている。
そして、意志の力は、
まるで金属をひきつける磁石のように
人が生きるのに必要なものを
自分にひきよせてくれるのである。
★ ★ ★
佐伯啓思の『西田幾太郎』を買って、すこしよみました。
著者は、経済学の偉い先生ですが、とてもわかりやすく書かれています。
西田幾多郎は、天風と似ています。欲望の肯定がそのひとつ。
どちらも、真、善、美をたいせつにします。
その定義はちがいますが、さししめす真理はおなじです。
愛をたいせつにする点もおなじ。
天風がネパールから帰国した当時、
西田幾多郎は、有名な『善の研究』を発表し、当時人気ナンバーワンの
哲学者でした。天風が西田を読んだことはまちがいありません。
ただ1点において、隔絶のちがいがあります。
それは、天風哲学はたくさんの実践的な方法をしめしていることです。
西には実践の方法はありません。あるとすれば坐禅くらいのものです。
西田は坐禅を真剣にくんだひとですから、天風哲学に似ているのです。
いうまでもなく、坐禅は、天風が学んだヨーガを淵源としているからです。
私は研究論文をかいていたころ、佐伯啓思さんの経済学の本を参考にしたものです。
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緑
2015.2.2
宇宙霊と同化する
宇宙霊は絶対的な実在である。
絶対的なものが、相対的なものを
かならず打ち負かす、というのが、
宇宙の絶対的な真理である。
私は、この真理を悟り、
この真理を信念する。
私はつねに、宇宙霊につながる
自己の霊を思い
自己の霊を考え、
ひたすらに霊を本位として
人生に生き、
絶対的な宇宙霊と同化する
尊さを心がける。
だから、私の心の中には、
邪悪や、弱さや、卑しさを
思考するような、
消極的なものは、なんとしても
燃え上がることをゆるさない。
そして、自分の心の中に、
積極的な思考だけを、
繚乱(りょうらん)と輝かそう、
暗夜を照らす炬火(かがりび)のように。
(緑の誦句集「自己本来内省の悟り」後半部)
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