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日本の防衛 2015.6.26


日本の防衛について

先日小学校の同窓会があり、80歳を前後する男女が10名ばかり集まり、ビールのジョッキをかたむけながら、夜中過ぎまでおしゃべりをした。
そのうちの一人は30年近くイタリアで商事会社の仕事をしていた男で、帰国して取締役になっている。
彼の話はなかなか示唆にとむもので、現下問題となっている集団安保体制や沖縄の基地問題をいっきょに解決してしまうという、提案であった。それはイタリアから遠く祖国日本をながめてえた発想ではあるが・・・

以下、彼の話を概略まとめた。

集団安保体制の問題は、いま国会で議論されているが、「違憲」であるという憲法学者の圧倒的多数のまえで、議会をむりに通過させるというのは問題である。だが、日本をとりまく軍事的現状をかんがえると、同盟国アメリカと協力する以上、アメリカの要請があれば、海外に自衛隊を派遣せざるをえなくなっている。だから、今日の日本は解決できないほどの、大きな矛盾に直面してしまった。
また、沖縄の基地問題も同じことである。日本の防衛のためには沖縄に基地をもたざるをえない。しかし、沖縄の人々の反対する気持ちになって考えれば、辺野古への基地移設などは許されないことである。
イタリアにもアメリカ軍の基地はあるが、それは完全にイタリアの法制度のもとに管理されており、アメリカの意向などイタリアはきくことはない。日本はアメリカの意向をくんですべて強行している。沖縄の基地問題にいったい解決策があるのか。
しかし、この現況を打開するには、ひとつだけ解決策がある。それは多くの日本人が、先行する前提条件と、考えている日米安保を、解消することである。つまり、日米安保の体制を、徐々にでも解消すること。アメリカの核の傘の下にはいっていることで、安全と安心がえられるという妄想をまず捨てるということ。
世界には核を持っていない国はたくさんあるが、核の攻撃にさらされているわではない。
核の抑止力というものはたしかにあるが、核兵器を他国に使用した場合、ただではすまないから、核はじっさい使用できない。
日本はアメリカの傘から出ても大丈夫。

アメリカに国の防衛をおんぶしてもらっているから、アメリカのいいなりにならざるをえない現状を、打破すべきである。自衛隊は国土防衛に専守すべきである。沖縄のアメリカ基地を少しずつ減らして、自衛隊の基地を全国の都道府県がひきうけるのがいい。
だいいち、日本人はなぜ自国をまもる気概をすてたのか?
自国を守る勇気をもちさえすれば、すべての問題は解決する。海外に自衛隊を送ることは憲法9条に違反するばかりか、莫大な軍事費を必要とする。
イタリアは日本のような憲法をもたないが、自国を防衛する軍備はそなえている。しかし、海外に出ていくことはまずない。NATOの要請にはあるていど応えているが。
かって日本の経済力のよわかった時代には、日米安保が必要だった。しかし、日本が第2の経済国になったころから、軍事的にも独立の道を模索するべきだったのだ。それをいまだにアメリカにだっこ、おんぶしてもらっている日本の姿は、イタリアでは軽蔑の対象になっている。
アメリカとの同盟は続けた方がいい。しかしいまだにアメリカの基地をおいて守ってもらっているという、日本政府(および日本国民)の態度には賛成できない。個人的には、ヨーロッパの人々と話をするときは、赤面するくらい祖国日本が恥ずかしい。



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高齢者と不安 2015.6.14


高齢者と不安

このごろ高齢者の方々で、なんとなく不安を訴える人が多い、
というのは、嘆かわしいことです。
とても元気で積極的だった人が、退職して気楽な身分になったとたんに、ウツ病になったりしています。

家庭の主婦でも、それまで闘病に年月を過ごし、
退院してから、楽しめばいいはずの生活に、なぜか
言いようのない不安を感じているのです。

そういう人たちが私の周囲にかなり見受けられます。

これらの不安という病をなおすのは、天風先生の教えしかありません。
とくに天風式の瞑想、ことばの自己暗示、官能の啓発です。
しかし、老齢になってから、これらのことを実行するのは、難しいものです。
若いうちから、これらの実践を身に着けるのが、いちばんいい、と私は思います。

上記の3つの実践方法は、天風哲学の奥義といっていいでしょう。
実践はやさしいので(その気になれば)ですが・・・
本気で実践する人が、たいへん少ないようです。
方法がはっきりとつかめないというより、それらの真価に気づくことがないようです。
これが、このごろの私にとって、最大の課題です。






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昔の天風会の仲間 2015.6.3



先日、昔の天風会の仲間が集まって、酒をのむ機会がありました。
仲間の一人に、東京のある大学の名誉教授で、フランス語の専門家がおりました。
彼は著名な作家でもあるので、ここでは名前を伏せます。
彼は天風会にも私といっしょに行き、大学でもクラスをともにした人です。

その席で、彼は私にこう言いました。
「私は天風先生の教えを受けて以来、50年以上も、安定打坐密法を実践してきた。
毎日1時間くらいもやるね。
それが私の今日をつくってくれた。
ありがたい、とつくづく思うよ。
だけど天風先生の教えを人に伝えようとは、とても思えないね。
なぜなら、天風先生の教えは、あまりに高級で価値の高いもので、一般の人には、ぜったいに理解できないんだよ。
沢井君が本を書いたり、教えたりしていることには頭がさがるね。
だけど、おれにはできないね。
豚に真珠をあたえるようなものだ、と思ってね」

これを聞いたときの、私のショックは大きかった。
そのあと彼とは激論になった。
なぜなら、正直言うと、私自身がしばしば、彼と同じ感懐をもつからです。

さて、先日私の塾に、ひとりの高齢なご婦人が、熊本からはるばるみえました。
私の「やさしい瞑想法」の本をもってこられました。
立派な家庭の育ちで、教養もある方です。

ご婦人は、こう言われました。
「私は長い人生でいろいろ苦労もありました。
主人が10年前に亡くなり、以来、子供もなく、ひとり暮らしをしています。
残る晩年を、心静かに安心して生きたいと願っております。
いままで、いろいろな新興宗教などにも入ってみました。
キリスト教や仏教のお話もたくさん聞いてみました。
しかし、どれも私の気持ちにピッタリ来ないのです。
ところが去年、沢井先生の『やさしい瞑想法』を読んで、私が求めていた安心はここにあると思いました。
毎日この本を読んでいます。
瞑想以外に、私を救ってくれるものはありません。
どうか今日は直接、私に天風式の瞑想を教えてください」

このような人を前にして、天風先生の教えが、豚に真珠などとは、私には思えませんでした。



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