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ハワイの裕子さんの「ピースコンサート」


ハワイのデューイッツ・裕子さんが会長をしておられるホノルル財団が、
「ピース・コンサート」
を主催されます。

日時: 2015年12月7日 午後4時~6時
場所: 真珠湾に浮かぶ、ミズーリー号艦上
出場するミュージシャン:
     Taz Vegas
     Mika Mimura
     Naoki Nishimura
     Yuji Sasaki

1941年の12月7日、日米の間に不幸な戦争が、日本軍による真珠湾攻撃によって、はじまりました。
そして、1945年、9月2日に、横浜に停泊していたミズーリー号の艦上において、
日本が敗戦をみとめる調印が行われました。

どうか皆さん、都合がつけば、ぜひこのピース・コンサートにご参加ください。

私は数年前、この歴史的な戦艦ミズーリーを訪れました。
今は、博物館か記念館のようなものになって、内部を散策できるようになっています。
一番私の注意を引いたのは、敗戦の調印がおこなわれた主甲板の中ほどの場所でした。
そして、重光葵外務大臣が、病の脚をひきずりながら、調印の席に艦側の階段をのぼっていく、
痛々しい姿をテレビでみたのを思い出しました。








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安定打坐考抄・解説(9) 2015.9.18


安定打坐考抄・解説(9)

p30~34
 心に付着した(こびりついた)消極的な観念という垢よごれが、安定打坐密法によって、なくなれば、そこには燦然とかがやく根本心(=本心良心)が出てくる。
 この根本心というものは、じつに強い積極的なものだから、この密法をおこなえば、精神力が強くなるのは当然である。

 実際、軽い病人などは、この密法で軽快になる。その理由を科学的に言えば、消極的観念の排除の結果、神経系統の機能が積極化し、生命に本来与えられている自然治癒能力(natural healing power)が旺盛になるからである。

 次に、安定打坐密法に関する真理を、演繹的に(=1つの法則をいろいろな事柄に当てはめて)記述する。そして、安定打坐密法に対する正しい理解の参考とされたい。

 古い中国の哲学に、
「寂然として動かず、然も天下の故に通ず」
というのがある。
この意味は、
「静かな不動心をもって、しかも天下の事情がよく見えてくる」
ということである。
またわが国の昔の兵法の用語に、
「動かざること、山の如し」
というのがある。

 しかし、「絶対に不動」というのは、不可能なことである。山が動かないように見えるのは、仮相に対する人間の妄想念にほかならない。
 汽車にのっているとき、とても速い速度で走っているのだが、自分も同じ速度で走っていることを、多くの場合、自覚しない。
また、地球も動いている以上は、山が不動であるとはいえない。
 私たちが静座して不動の境地にあっても、じつは1秒間に数10マイルの高速で回転している地球とともに、私たちも高速で回転している。人間だけではない。地球上のあらゆる物質が地球とともに高速回転している。静止していると感じるのは、自分が地球の回転と同化しているからだ。

 古い諺に、
「静観是在動中」(=静観これ動中にあり)
という。この意味は、
動いている最中においても、静かに観よ、ということ。

安定打坐密法においては、「動中静」の境地に入る。
そして、この密法は「活動本来の心性を寂修する一工夫」である。
(付記―この意味は、「人は本来活動するものである。活動しながら、静かな心をうしなわない一つの工夫」ということ)

 「煩悩即解脱」という大真理がある。これは、しばしば煩悩(=人生の悩み)を感じつつも、同時にそこから解脱する、という意味である。この真理は、「動中静」ということが悟れないと、分からない。
(付記―言い換えると、解脱し悟ったとしても、煩悩は人が生きるかぎりは生じる、ということ。煩悩即菩提ともいう。この場合、菩提とは解脱と同じで、悟りという意味)






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安定打坐考抄・解説 2015.9.4


安定打坐考抄・解説(8)

p27~30
 安定打坐密法を実行すると、信念の力が喚起されるために、自分に勇気あり、と思えば、直ちに勇気の念がでてくる。自分は健康だと思えば、ただちに健康だという気持ちになる。したがって、心身相関の理(心で思ったことが身体に影響するという法則)によって、健康も幸運も自然に得られるようになる。

 同じ理由で、どんな煩悶や悲観の事実が生じても、安定打坐密法を行えば、今私は楽しいと思えば、ただちに苦しいこともまた楽しむという、楽天的な観念が心に形成される。
 純一無雑の心境、すなわち精神統一のすばらしい境地、に達すると、消極的、否定的な気持ちが発生しなくなる。すると、自分が思ったり考えたりした事柄に、信念の力が同化してきて、積極的な観念が喚起される。

 このような境地を無碍自在という。
 無碍自在とは、「こだわりが無く、自由自在」という意味である。
 苦を楽に、悲しみを喜びに心が転換できるということである。
なぜなら、安定打坐密法によって、感応性能(=ものに感じ反応する能力)が強くなり、暗示の感受性が良好になったからである。

 だから、昔から修行者は、精神統一の極地(=三昧)に入る努力をしたのである。しかし、古来からの方法はいずれも困難で、長い歳月を要する。ところが、私の安定打坐法は、容易で、短時日のうちに、精神統一の境地に達することができる。
 安定打坐密法は、公案と取っ組んで壁に向かい長時間すわる、といったような迂遠な(=実際的でない)ものではない。 
 安定打坐密法では、坐るやいなや、簡単に気持ちを転換して、純一無雑になれる。
 安定打坐密法は、習得するのに、速い人は1か月、遅い人でも2,3か月、の実践によって、その妙味を悟り真諦(=本当のところ)を体得できる。その結果、精神統一が容易にできるようになり、記憶力が優秀になり、すべての能力が向上してくる。

 安定打坐密法は、仕事をしながら、あるいは人と話をしながらでも、フッとその気持ちに、心をもっていくことができるようになるものである。
(付記―もっとも、このようになれるには、毎日安定打坐密法を熱心に、かなりの年月にわたって、実行しなければならない)

 毎日この密法を実行していると、とかく乱れやすい心の葛藤が、ただちに解消されるようになる。
 したがって、私はこの密法を
「心にあたえる瞬間活法」
とも呼んでいる。
(付記―瞬間活法とは、文字通り、瞬間的に心に活(かつ)を入れる方法、の意)

 この密法は、迷い、執着、煩悩からの、きわめて効果的な解脱の方法である。
 自分の精神に不安定なところがあると感じている人に、この密法は効果的である。また、肉体に病をもつ人も、この密法を体得すると、病の治りがはやい。

 どんな人も、この密法を行えば、悠々とした余裕のある生き方になり、喜び、楽しみが多くなり、ついには人生苦なんてどこにあるのか!というような、不動の人となれるのである。
 なぜなら、この密法は、心の中をきれいに掃除するのと同じであるからである。

 もともと、人間の心の力が弱ってくるのは、外界からのいろいろな暗示に、心が動揺するからである。
 「心の垢よごれ」と俗に言われるものは、消極的な暗示に心が感応して、心に纏綿して(=こびりついて)いる状態である。ところが、安定打坐密法をやると、この「心の垢よごれ」が自然にぬぐいさられる。その結果、心の力が増大する。






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