正しき活き方 2016.2.25
正しき活き方 2016.2.25
今日は、天風誦句「正しき活き方の自覚」の第一文にある、「秘訣」とは、具体的になにか、を解説します。
その前に、「宇宙霊」という言葉を、説明しましょう。
「宇宙霊」とは、この宇宙、この世界をつくった「創造主」のことです。
これは、ヨーガ哲学の英文にでてくるthe Spirit of the Universeを和訳したものです。
「神」とか「仏」という言葉の好きな人は、それを使ってもいい。
ただ、天風先生の教えは宗教ではなく、哲学ですから、「宇宙霊」を信仰すると現世利益がある、などと考えたら、おおまちがいです。
天風は、神社の賽銭箱にお金を投げ入れて、自分の念願をとなえる行為を、卑しいものと考えました。
正しい理想をもち、強い信念をもって生きる人に、神や宇宙霊を信仰する必要はないのです。
自分の中に気高い理想をもち、強い信念をもって生きたいと願うなら、
① 天風式瞑想
② 自己暗示(アファーメイション)
③ 呼吸法や体操
などを実行するといい―――これが天風の教えです。
宇宙霊という言葉の嫌いな人は、べつにこの言葉をつかわなくてもいい。
天風の教えは、もっぱら瞑想と自己暗示といっても、まちがいではないでしょう。
ただし、呼吸法や体操が好きで、ほかのことはやらない、という選択も可能です。私自身はおすすめしませんが。
上の話で、天風の教えが、宗教ではなく哲学だと分かるでしょう。
さらに、あえて言えば、あくまで哲学ですから、天風哲学を学ぶ人は、それを参考にして、さいごは自分自身の哲学をもつことが理想です。
天風哲学しか勉強しない人は、あるいは心が狭くなるかもしれません。
宇宙の根源的な実在―――これを「宇宙エネルギー」とか「宇宙生命」とよぶこともできるでしょう。
その「宇宙エネルギー」を十分に受け入れる「秘訣」が、上にのべた①瞑想②自己暗示です。
誦句「正しき活き方の自覚」(緑の誦句集、10番目)の冒頭の一文にでてくる「秘訣」というのは、
やはり①瞑想②自己暗示、ということになります。
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自己本来の内省 つづき 2016.2.20
自己本来の内省 つづき 2016. 2.20
本当の自分は、霊という気体である。
その霊という気体は、清らかに澄んだ水のように透明で、見ることはできない。
しかし、永久に不滅である。
しかも、自己という霊は、宇宙霊から生まれ出たものである。
自己の霊を霊魂ともよぶ。
絶対者である神から生まれ出たものだから、当然人の霊魂も絶対的なものである。
相対的な現象に傷つくこともなく、永遠に不朽不滅である。
天風の誦句「自己本来内省の悟り」(緑の誦句集)の前半は上に述べたようなことが記されています。
「自己本来」とは「自分の本当のところ」、つまり「本当の自分」ということ。
「内省」とは、「心の内に省察すること」
この誦句のなかに「先天の一気」ということばがでてきます。
これは、中国の宋の時代の哲学者、朱子の言葉です。
これは、造物主、神、宇宙霊というのと同じ意味です。
「先天」とは、ふつう「人の生まれる以前」の意味で、「それは彼の先天的な素質だ」などと使います。
しかし、「先天の一気」の場合の「先天」は、「宇宙の生まれる以前」という意味になります。
朱子は、12世紀の中国を生きた人で、日本の平安時代後期にあたります。
そんな昔の人が、19世紀の理論物理学でいう「プランク定数」と同じコンセプトを先取りして構想したというのは、驚きです。まさに天才中の天才です。
朱子の「気」に関する議論は、中国では一種の唯物論といわれます。
なぜなら、宇宙の存在論を思索している朱子は、現代の物理学者の思考過程をたどっているからです。
朱子は、すべての物質を動かすエネルギーの根源的なものを「気」と考えたのです。
それは宗教的にいえば「神」です。
物質を生み出すものは「気」であり、気はたえず運動している。
世界の生成の最初にあったものも「気」である。
人も物質も気の働きで構成され、いわば万物は「気の海」のなかに浮かんでいる。
「気」は宇宙エネルギーであり、永遠に不滅なものです。
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自己本来の内省 2016.2.15
人間本来の内省 2016.2.15
人の本来は、純一無雑なる霊魂です。
純一無雑は、清浄無垢とも言う。
純一も無雑も、透明なきれいな水をイメージした言葉です。
天風式の瞑想によって達する、あの静かなシーンとした気持ちのことを、上の言葉はすべて表現しているのです。
その気持ちが、ほんとうの自己です。
いいかえれば、本当の自己は霊魂です。
霊魂は不滅です。
霊魂は、死後も永遠につづくのです。
霊魂は、宇宙霊の直接的な分派でもあります。
つまり人の霊魂は、宇宙霊から出てきたもの。
宇宙霊は絶対の実在ですから、人の霊魂も絶対的な存在です。
苦しみ、悲しみ、恐れといったような感情は、人の心に生じる相対的な、仮の現象にすぎない。
どんなに心が、悲しみ、恐れ、苦しみなどで、ボロボロになっても、霊魂は無傷で、なんの影響も受けていない。
だから、恐れるものはなにもない。
これが、天風誦句「人間本来内省の悟り」(緑の誦句集)に述べられていることです。
「内省」とは、(心を静かにして)内側から自己を省察することです。
だから、この誦句の題は、「自分は霊魂だ、という内省の悟り」という意味です。
霊魂の不滅をとなえたのは、ギリシャの哲学者プラトンにはじまる。
カントというドイツの哲学者は、その考えをもっと論理的に説明している。
最近の日本では、東大医学部の矢作直樹先生が、いくつもの著作で、霊魂の不滅を説いておられる。
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自己陶冶 続き 2016.2.7
自己陶冶 つづき 2016.2. 7
だれでも、この世で人生を生きる以上、かならず、なにごとかの問題に直面する。
なにごともなく、無事に恙なく生きてゆくことは不可能です。
運命の濁流になげこまれることもあります。
また、不幸や病魔のとりこになることもあります。
しかし、そのとき決して悶えたり苦しんではいけません。
また、人生上の困難を恐れてはなりません。
なぜなら、宇宙の摂理はとっても明らかなもので、万象はつねに流転し、その不幸や困難は永久につづくものではないからです。
いいことがあったり、悪いことがあったりするのが人生です。
「万法流転」という仏教のことばがあります。
これは、長い時間のうちには、「すべてのものは、流れるように変化していく」ということ。
「万法」とは「万象」に同じ。
苦しいことは永久には続かない。
喜びもまた同じ。
ですから、今日どんな苦しいことがあっても、辛いことがあっても、それは明日の幸せの前兆(きざし)と思えばいい。
以上のようなことが、誦句「自己陶冶」(緑の誦句集8つめ)の後半に書かれています。
つづいて・・・
私たちは、無限の力をあたえられている。
なぜなら、宇宙霊は無限の力をもっていて、その力を無限にとりいれる力が、人間にはあたえられているからです。
この力を信念して努力すれば、自己の霊に宿っている偉大なものが、天の摂理にあわせて、心の中の悪魔も汚れもうち砕き、私たちは正念の彼岸に達する。
正念とは「正しい考え」すなわち悟りです。
このようにして、人生を悩ます煩悶とか苦患は消滅し、私たちの世界は、ここに新たに甦り、生気躍動する、すばらしい人生があらわれてくる。
以上のようなことが、「自己陶冶」のさいごのほうに述べられています。(緑の誦句集 p24~25)
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