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伊豆の旅 2016.4.29


伊豆の旅  2016.4.29

ひさしぶりに、ちょっと長い旅にでました。(6日)
まず横浜に行き、洋子の「いとこ会」に出席しました。
その前日に、ホテルに藤代編集長の来訪をいただき、
拙著「やさしい瞑想法」と「自己暗示」について書いた本の、2冊の文庫化(もしくは新書化)の話がまとまりました。
本の文庫化は、私の夢でした。それで、とても嬉しく思いました。
そのあと、藤代さんの奥さん(この方も婚礼に関する雑誌の編集長)と一緒に、
ひさしぶりに横浜の中華街に出て、夕食を共にしました。
紹興酒と、あさり味のラーメンがとても美味でした。

いとこ会の翌日、修善寺温泉にはじめて行きました。
それからレンタカーで、伊豆半島を周遊しました。
天城峠をこえて下田にいき、
さらに伊東、熱海、沼津に遊びました。
昨日、京都に帰ってきました。
************

人の心の奥には、神秘的な大きな力が潜在しています。
その力を活用すると、その人の価値が生まれます。
この力を感じることができると、自分の命の中に尊い「光」のあることが自覚できます。
そして、過去の無価値を解脱して、格調高い人生へと甦る喜びが生まれます。

上にのべたようなことが、夢物語ではなく現実にありうるのです。
そのためには、自己暗示の誦句を毎日となえる以外にありません。

天風誦句「信念と奇跡」(緑の誦句集)の前半には、上に述べたようなことが記されております。
この誦句は、なんと! 誦句そのものの価値について書かれたものです。




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霊性と理性 2016.4.23


霊性と理性  2016.4.23

人はいつも行動の岐路にたっております。
言い換えると、人はつねに、自分の行為の選択にせまられながら、生きているものです。
どうすれば、正しい行為の選択をしながら、生きていけるでしょう?
――そのためには、自分の心の奥にある最高の心、つまり霊性、の命ずるところに従って生きることです。

霊性とは、自分の永遠にして不滅の霊魂が所有する心です。
だから、霊性が「よし」と認めることだけを実行して生きてゆけばいいのです。

天風は
「自己の人生に対する真の責務を果たさんには、須らく自己の生命の中の最高のもの、すなわち霊性の許諾するもののみを実行することに、ひたむきに心がけよう」
と言っております。

ところが、多くの現代人は、理性を尊重しすぎる傾向があります。
それは、長いながい幾世紀もの過去において、人が宗教を信ずるあまり、そこに習俗的に混入した迷信にとらわれていました。
ところが、科学の出現によって、一種の覚醒を体験した結果、科学万能主義に傾斜してしまったからです。

科学は迷信を排除してくれましたが、万能ではありません。
科学的な研究や技術は、理性によって遂行されます。
そのこと自体は正しいし、科学的な論理でものを考えねば、私たちの現代の仕事の多くは、正しく行われません。
その上、科学の発展によって、私たちは多くの便利なものを使って生きております。

しかし、問題はその科学をすすめる理性なるものが、五官の働きの内側でしか機能しないという、事実にあるのです。
つまり、自分の営為や行動の意味あるいは意義を考えるとき、理性にはそれを決定する力がない。
理性が五官の感覚の域内に限定されているので、人生の意義といったような哲学的な問題に対処できない。

人生の意義とは、平たくいえば、人はなんのために生きるのか? といったようなことです。
このような種類の問題は、五感をこえた第六感(霊感)によって解決するほかありません。
第六感とは、正しい直観のことです。

私たちは、臨機応変に理性にしたがって科学したり、直観的に物事を判断すべきではないでしょうか。
理性と直観の使い分けをするということですね。

天風は
「科学と哲学は密接に協同して、はじめてその真価を発揮できる」
と言っています。

もっと具体的にいうと、ふつうの日常的な仕事は、研究から事業、家事にいたるまで、もっぱら科学的に理性的に、五感の感覚にしたがって処理すべきです。
しかし、眼前に選択すべき複数の道(岐路)があらわれたとき、理性で決断できないときは、霊性によって直観的に決めるほかありません。
霊性とは、本心良心のことですね。


広く自分の人生の展望、ビジョンを思いめぐらすとき、そのときこそは、霊性が必要になります。

さて、蛇足ながら、霊性的判断は、いかにして可能なのでしょう?
それは瞑想によって可能なのです。
とくに天風式の瞑想(安定打坐)をおすすめします。
瞑想によって霊性が覚醒され、直観がはたらき、良心本心にしたがった悔いのない人生が展開していく。

緑の誦句集の「幸福の誦句」の中ほど(p54~55)に書かれていることは、詳しく言えば、上記のようなことになります。





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霊性と理性 2016.4.18



霊性と理性 2016.4.18

人はいつも行動の岐路にたっております。
言い換えると、人はつねに、自分の行為の選択にせまられながら、生きているものです。
どうすれば、正しい行為の選択をしながら、生きていけるでしょう?
――そのためには、自分の心の奥にある最高の心、つまり霊性、の命ずるところに従って生きることです。

霊性とは、自分の永遠にして不滅の霊魂が所有する心です。
だから、霊性が「よし」と認めることだけを実行して生きてゆけばいいのです。

天風は
「自己の人生に対する真の責務を果たさんには、須らく自己の生命の中の最高のもの、すなわち霊性の許諾するもののみを実行することに、ひたむきに心がけよう」
と言っております。

ところが、多くの現代人は、理性を尊重しすぎる傾向があります。
それは、長いながい幾世紀もの過去において、人が宗教を信ずるあまり、そこに習俗的に混入した迷信にとらわれていました。
ところが、科学の出現によって、一種の覚醒を体験した結果、科学万能主義に傾斜してしまったからです。

科学は迷信を排除してくれましたが、万能ではありません。
科学的な研究や技術は、理性によって遂行されます。
そのこと自体は正しいし、科学的な論理でものを考えねば、私たちの現代の仕事の多くは、正しく行われません。
その上、科学の発展によって、私たちは多くの便利なものを使って生きております。

しかし、問題はその科学をすすめる理性なるものが、五官の働きの内側でしか機能しないという、事実にあるのです。
つまり、自分の営為や行動の意味あるいは意義を考えるとき、理性にはそれを決定する力がない。
理性が五官の感覚の域内に限定されているので、人生の意義といったような哲学的な問題に対処できない。

人生の意義とは、平たくいえば、人はなんのために生きるのか? といったようなことです。
このような種類の問題は、五感をこえた第六感(霊感)によって解決するほかありません。
第六感とは、正しい直観のことです。

私たちは、臨機応変に理性にしたがって科学したり、直観的に物事を判断すべきではないでしょうか。
理性と直観の使い分けをするということですね。

天風は
「科学と哲学は密接に協同して、はじめてその真価を発揮できる」
と言っています。

もっと具体的にいうと、ふつうの日常的な仕事は、研究から事業、家事にいたるまで、もっぱら科学的に理性的に、五感の感覚にしたがって処理すべきです。
しかし、眼前に選択すべき複数の道(岐路)があらわれたとき、理性で決断できないときは、霊性によって直観的に決めるほかありません。
霊性とは、本心良心のことですね。


広く自分の人生の展望、ビジョンを思いめぐらすとき、そのときこそは、霊性が必要になります。

さて、蛇足ながら、霊性的判断は、いかにして可能なのでしょう?
それは瞑想によって可能なのです。
とくに天風式の瞑想(安定打坐)をおすすめします。
瞑想によって霊性が覚醒され、直観がはたらき、良心本心にしたがった悔いのない人生が展開していく。

緑の誦句集の「幸福の誦句」の中ほど(p54~55)に書かれていることは、詳しく言えば、上記のようなことになります。




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海外からの塾生 2016.4.13


海外からの塾生 2016.4.13

先日、ベルラングさんという、パリ大学で哲学の博士課程を修了した方が、天風塾に入塾してくださいました。
ベルラングさんは現在、ブラジルの大学の人類学の教授です。
ベルラングさんは、ブラジルのリオで合気道を学んだそうです。
それが機縁になって、合気道を世界に普及させた藤平光一の背後に、
偉大な中村天風という人がいるということを知ったそうです。

そして、心身統一法に興味をもち、天風哲学を学びたいということで、来日されました。
京都の天風塾にいけば、英語でそれを説明してくれると、インターネットで知った、といわれます。

私はベルラングさんに、天風式の瞑想、つまり安定打坐を、3時間かかって、お教えしました。
ベルラングは、パリで坐禅を学んだそうです。
ところが、その坐禅会では、
「ただ坐って、なにも考えるな」とくりかし指導されるだけだとか。
それで、ベルラングさんは、坐禅しながら、いろんなことを考えてしまって、
坐禅をしていたのか、考え事していたのか、分からず深い失望を味わったそうです。

ベルラングさんは、ロンドンの名門スクール・オブ・エコノミーでも勉強されたので、英語は堪能でした。
私のThe True Paths to Meditationを買ってくださいました。

ベルラングさんは、ブラジル人なので、ポルトガル語ができ、
ほかにスペイン語、英語、フランス語、イタリア語ができるのです。
それで、私が
「どの言葉が、いちばん気持ちよく話せますか」
とたずねると、なんとその返事は、
「イタリア語です」
なぜ、と聞くと、
彼は実は若いとき音楽を志し、はじめは大学の音楽科に入ったそうです。そのときもっぱらイタリア語で勉強したそうです。
ギターの演奏が得意になり、ボーカルもやっていたそうです。

ところが、ある演奏会で長時間ギターを演奏したことがあり、あとわずかで終わるというところで、
とつぜんの耐え難い筋肉痛におそわれ、パニックになった。
もちろん、演奏会は中断されました。

それが、はじめての人生の挫折で、絶望感から解放されようと、リオからアマゾン河をさかのぼり、
アマゾニアの先住民と生活を始めました。
先住民との原始の生き方に溶け込んでいるうちに、挫折感が解消し、心身の健康をとりもどした。
それまで釘のようにやせていた自分が、30キロも体重がふえた。
原始的な生き方の中に「力と知恵」の潜んでいることを知って、あらたに人類学を大学でまなんだ。

その後、合気道を学び、天風哲学をまなぶと、この天風哲学なるものがまた、
インドの4千年まえからの原始の「力と知恵」に由来するということに、気づいた。

そんな話をされ、私も多くのことをベルラング教授から学びました。
ちなみに、彼は50歳くらいの方で、私にはとても若い世代の人です。

ベルラングさんは、パリ大学での研究もつづけているので、ブラジルとパリを往復する生活を送っておられる。
それで、私にパリやリオにきて、天風哲学を多くの人に教えてください、と彼はいう。
いつの日か、私はパリかリオを訪ねたいと思っています。




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幸福への条件 2016.4.8


幸福への条件

天風は、幸福への条件として、次の4つを挙げています。
①理想をもつこと
② 愛と誠と平和という、聖なる感情で生きること
③ 霊性の許諾するもののみを実行すること
④ 潜在意識の改善

これは、「幸福への誦句」(緑の誦句集)に書かれています。
さいごの潜在意識の改善は、夜ねるまえに、できるかぎり楽しいこと、嬉しいことを思う、という連想行です。
天風はこれを観念要素の更改とよんでいます。

ネパールで悟りを開いて帰国した天風はなお、自分の潜在意識の中味をプラスにしよう、と努力し、そういう自分を鼓舞するために、この暗示の誦句を書いたようです。

この潜在意識の改善は、心身統一法のなかでももっとも初歩的な行ですが、これを十分に実行している人が少ないのは、残念なことです。

多くの人が、その日にあったことを夜寝るまえに思い出して、いろいろ思い悩んでいます。
そうすると、そのネガティブな思考の要素が、潜在意識の中に無条件に入って、その人の物の考え方、感じ方は、きわめて消極的なものになってしまいます。

初心者の人は、なんでもいいから楽しいこと嬉しいことを、胸に思い浮かべて、眠りにつくといいのです。すると、心の中がどんどんプラスの要素に満たされて、明るく朗らかな人生が、努力せずとも、つくられてくるのです。

自分をもう初心者と思わない人は、寝る前の自分の思考の内容を再検討するべきです。
ことに自分の欲望を際限なく引き伸ばすような空想は、それが楽しいとしても、心を疲れさせます。
そして、人格を引き下げる卑しいものを自分のなかに植えつけてしまいます。
尊く清らかな連想をすべきです。
感謝の気持ちをもつことが、潜在意識の改善にとっては、いちばん易しいです。

もっとも理想的な潜在意識の改善のしかたは、瞑想の気分になることです。無念無想ですね。
しかし、これは毎日瞑想を10分~30分実行している人でないと、できません。

天風の教える方法は、実行しさえすれば、なんの努力もなく、楽々と積極的になれるというものです。
難行苦行した人だけが積極的になれる、という思い込みは、いまだに多くの人がもっているようで、これはとても遺憾なことです。




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理想をもつ方法  2016.4.5



理想をもつ方法  2016.4.5

前回に、理想をもつことは、魔法のような力がるという話をしました。
これはそのつづきです。
そこで、しっかりした理想を自分の中にうえつける、その具体的な方法とは・・・
「理想をふくんだ、自己暗示のことばを、日々唱えること」 です。
いちばんいいのは、天風誦句をとなえることです。
信念の場合と同じですね。

なんと、これが私は60歳をすぎるまで気がつかなかった。
なぜなら、天風誦句のなかには、いろいろな理想が含まれているからです。
そして、それは不変の言葉であり、その誦句をとなえて、ありありとその内容を映像化すれば、理想はくりかえし自分の心のなかに植えつけられて、理想の魔訶力によって、人生が力強くなるわけです。

「力の誦句」を、ひとつの例としてとりあげれば・・・
「自分が力の結晶だ!」というのは、すでに立派な理想ではありませんか。

このことに私が気がついたのは、信念を煥発する方法が、誦句だと、気がついて、すぐ後のことでした。

天風誦句にかぎらない。
自分のパーソナルな、個人的な事情を反映した、自己流の誦句をつくることが可能です。
人それぞれ、生きている環境の条件はちがいます。
人によって、出自や、経歴や知識がちがいます。
それに応じた誦句を、自分なりにつくって、その中に自分独自の理想を表現することも、できるはずです。

私は、自分だけの独自な誦句を数個つくって、毎日となえております。
天風誦句は毎日20くらい、自分のは2つくらい、唱えます。

天風誦句は、おどろくべき普遍性をもっております。
それは、万人に共通した理想と、気持ちを鼓舞してくれる力にみちております。

最近読んだ本のなかに「言葉の力が心を救う」とありました。これは一大真理だと思います。
しかし、どのようにして、言葉を力に変えられるでしょうか?

それは、誦句のような自己暗示の言葉をくりかえし、自己にむかって、となえる以外にないのです。
言葉は、心を救うばかりか、人生そのものを救うものだと、私は思います。




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