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悟りについて 2016.5.28


悟りについて

悟りというものは、どのようにして到達できるのでしょうか。
それは、偉い人が難行苦行をして、ふっと迷妄からめざめ、到達できるもので、凡人である私など縁のないものだ、と考えていませんか。
それは、悟りというものを、あまりにも高いところにおいている考え方です。

天風はこう言っています。
「みなさん、悟りというものを、いつも向こう岸にあるものだ、と思い込んでいたらダメなんだよ」

悟りとは、真理に対して、はっと気づいたことにすぎません。
だから、だれにでも、いつでも到達できるものです。

悟りにも、大きな悟り、小さな悟りがあります。
たとえば、鈴の音を聞いたあと、正しい瞑想の境地とは、この深い静けさだな、感じとったとき、これは、大きな悟りです。
誦句は信念を強くするんだな、と納得したとき、これも、大きな悟りでしょう。
体操をすると、体の調子がよくなり、これで健康になれる、と感じたとき、これは小さな悟りでしょう。

むかし、ある天風の門下生で、10数年間も心身統一法を勉強した人が、天風にむかって、こう言いました。
「私は、先生の教えのおかげで、もう体の健康には絶対の自信があります。これからは、心をみがいて、精神的な向上にはげみ、霊感のでるような人間になりたいです」
この言葉をどう思われますか。
その時の天風の返事を想像できますか。

天風は、その言葉をきいて、呆れてその人の顔を見ただけで、一言も返答されなかったそうです。
この人は、天風哲学の出発点である「心身統一」の意味さえ分かっていなかったのですね。






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知性と情熱


知性と情熱

太平洋戦争に日本が負けて5年くらいあと、天風は日本の未来に曙光をみた、といっています。
なにしろ、普通選挙の実施、男女の平等をもとめ、天皇も神ではなく、一人の人間だと断言してはばからなかったような人ですから・・(そのため、憲兵から危険思想家とみなされておりました。)
戦後ようやく民主主義の政治が行われようとしていたとき、天風は、わが意を得たり、と思われたことでしょう。
天風会も、かってのブルジョワの少人数の集まりから、どんな階層の人でも入会できるように、天風ご自身、舵を大きくきられたのです。
それで、戦後は多くの人が入会するようになりました。

天風は、当時の世相の変化に、人間の本来的な向上性というものを感じておられたようです。
しかし、すべての人が向上性をもっているとはいえ、その行動に功利的、野心的な心情がまじると、真実の向上は達成できない。
なぜなら、仕事の持続力が失われるからである。
私心のない行動は、人を疲れさせないが、私欲による事業は人を疲弊させるものである。

天風は当時また、知性が情熱によって鼓舞されないと、知性の向上がありえない、とも言っています。
実際、情熱をともなわない冷たい知性には、人を動かすような真の創造はありえないでしょう。
そして、知性と情熱を結合させるには、心身統一法しかないのです。
(天風の昭和25年のエッセイ、A Perspective を参照)


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天風のもっとも古い随筆 


天風に書いたもっとも古い文章  2016.5.19

天風の書いたもっとも古い文章は、昭和24年正月の随筆です。
(天風は当時73歳)
このころ、太平洋戦争がおわって3年目ですが、まだ日本国民は、敗戦の荒廃と瓦礫のなかで生活していました。

天風の随筆の冒頭には、
「敗戦の日から、われわれ3000年来、誇ってきた日本の世界的地位は、まったく事実上、喪失してしまった」
という意味のことが、書かれています。

終戦の年、私は小学1年生でした。
私は、幼いなりに、人間の絶望のすがたと、地獄の情景を見た、
と思っております。

次に、当時天風が感じたこと、考えたことを、この随筆をもとにして、わかりやすい現代文で、みなさんにお伝えします。

「国土は極度な荒涼に帰し、かっての都会の輪奐の美は見るべくもなく、人々は名誉も誇りも捨ててしまった。
今もっとも悲しむべきは、日本国民の「心の変化」である。
日本人は、心の美しさ、清らかさを失って、荒(すさ)みきっている。
同じ国民どうしが、まるで積年の仇敵であるかのように、憎みあっている。
このような人々の心が、経済の窮迫、物資の欠乏という凄惨な世相を、いっそう悪化させ、救いがたい奈落の底におとしいれている。
まるで、悪夢を見ているようだ。

このままゆけば、待っているのは、この国の破滅と亡国である。
国民は、いまよく探求し、考え、未来の計画をたてねばならない。
世界の興亡の歴史をみると、国の滅亡の原因は、道義の頽廃、個人本位の欲望である。

しかし、このような現在の日本にも、愛国の純情をもつ人々が相当おられることと、私は信ずる。
これらの人々が、わずかな数であろうとも、希望の光をかかげてゆけば、祖国の復興もありうる。
この自覚こそ、私の門下生にあたえられた使命である。
今こそ、国民どうしの思いやりと助け合いの精神が必要である。
崇高な愛の心が、物資の欠乏にうちかつ道を開いてくれる。
かっての私たちの祖先のように、正しく清い大義を重んずる尊い魂を、すべての日本人がとりもどせたら、事態は好転する。
現在の悲惨な窮乏からぬけだすには、正義に生きんとする魂しかない。
いまいちばん大事なのは「魂の浄化」である。」

実際、天風は、日本の戦後の復興をなしとげた人々のすぐれたリーダーの一人だった、と思います。
この随筆を読んで、天風の激しい情熱の叫びに、私はうたれます。
天風哲学をまなぶ若い人々に、こんな時代のあったことを知ってほしいものです。




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値ある生き方 2016.5.14


値ある生き方への悟り 

人間とは、宇宙の進化向上を助成するため、この世に生まれてきました。
進化向上とは、要するに、自分の仕事を立派になしとげるということです。家事もその中に含まれます。
だから、人間は、一人ひとり、たいへん貴重な存在です。

この真理を信じて生きていく人の命は、永遠にして不滅です
だから、自分はこの世にある人のなかでも、だれよりも善良で、だれよりも積極的で、だれよりも完成された人間になることに努力しよう。
そして、自己本位の生き方にならないよう、大いなる勇気をもって、努力しよう。

そして、どんな場合でも、自分の生活を心から感謝して楽しもう。
それを現実化するために、自分の生活の中から「生きることへの情味」を見出すことにつとめよう。

「値ある生き方への悟り」(緑の誦句集)には、上のようなことが書かれています。
この「生きることへの情味」とは、いったいどんなことなのでしょう?
これは、とても抽象的な表現なので、具体的なイメージのつかみにくい語句ではないでしょうか。
「生きることへの情味」とは、
「感謝のタネ、喜びのタネを見つけだして、深く味わう」ということでしょう。
人生の苦しみのなかにも喜び、楽しみを見つけだし、生きているという現実に感謝すると、この深い味わいが生まれます。
その「深い味わい」を「情味」と表現されている、と思います。

かって(今から数年まえ)、亡き先輩の小野敏郎さんと話をしていたときに、この誦句の「生きることへの情味」というのが、何なのか分からない、と言ったら、「私もそうなんだ」と言われて、しばらく二人で話し合って、考えたことがあります。
すべての誦句の中でももっとも難しいところです。




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奇跡について 2016.5.8


奇跡について 2016.5.8

天風誦句「信念と奇跡」(緑の誦句集)に書かれている「奇跡」とは、どんなことをいっているのでしょう?
多くの人は、奇跡といえば、なにか超自然的な宗教的な出来事を思い浮かべるでしょう。
しかし、天風先生のいう「奇跡」とは、そんなものではありません。

天風のいう奇跡とは、
「信念が強くなると、今まで自分にできなかったことが、できるようになる」
ということです。

キリスト教では、キリストが死んでから、何日目かに甦り、復活した、とかいう奇跡を信じています。
しかし、そんなことは絶対にありえない。
また、仏教でも、天国とか地獄の話がある。
そんなことは、フィクションにすぎません。
ただ、宗教ではフィクションを信ずることで、ある種の真理に参入させようとするのです。
しかし、天風はいかなるフィクションもウソも信じなさい、とは絶対に言わない。

天風のいう奇跡とは、
たとえば、今まで絵が不得意だった人でも「信念さえ強くなれば、絵が上手になる」
ということです。
これはほんの一例で、だれでも他人にできることなら、自分でもできるはずです。
できないのは、「私は不器用ですから、できない」とあきらめているにすぎない。
それは信念が弱いからです。

信じられないことかもしれませんが・・・天風は、字など書ける人ではなかった。
しかし、悟りを開き、誦句によって信念を強固にされてから、現在のこっている揮毫のような、立派な字を書かれるようになった。
そのことを天風は、やや誇張して奇跡といわれたのです。






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信念と奇跡 後半 2016.5.4



信念と奇跡 後半 2016.5.4

自分をつくるのは、自分です。
子供のころは、親がある程度つくってくれるわけですが、大人になると、自分を作るのは自分しかありません。
自分を正しくつくるには、自分を正しく律することです。
これが、自律ということですね。

自律とは、自己暗示の言葉によって、自分の精神を形成することです。
具体的にいえば、誦句の朗唱です。

天風誦句はもっとも普遍性の高いもので、すべての人にあてはまる内容をもっています。
しかし、自分の特有の問題、つまりパーソナルな問題、にたいしては、自分で自分用の誦句をつくるのが望ましいです。

天風誦句は、信念に基づいた連想です。
連想というのは、いろいろなテーマについての誦句がつらなって誦句集をつくっているからです。

「自律基盤の力」というのは、
「自己暗示によって、自己の人生観の基盤(基礎)をつくり、それによって生まれる力」ということです。
誦句によって、自分の考え方の基盤を作るということですね。

天風誦句「信念と奇跡」(緑の誦句集)の後半部分は、(p59)意味の分からない方が多いと思います。
上の説明でご理解ねがいます。
正直申しますと、私自身、長いながい間、この誦句の意味がわからなかった。
しかも、たいして気にもしなかった。

天風先生は、「誦句」といわずに「自律」と言っておられるのです。
なぜでしょう?
先生にとっては、それは自明の理だったからでしょう。
また、先生は、自分の誦句だけを自己暗示の言葉と考えておられない。
それほどまでに、公正な哲学的な考え方をする人だった、と私は思い、頭がさがります。

ここからは、ちょっと余談になりますが・・・
「自律訓練」という心理学の専門語があります。
これが「言葉を使う自己暗示」のことです。
1940年から1960年頃、ドイツを中心に心理療法のために「自己訓練」が盛んに研究されましたが、その後心理学が数量的な(科学的)実証を重んずるあまり、この分野が研究されなくなっています。
哲学的要素を無視しているのです。
心理学は哲学と科学を両立させるべきで、最近の傾向は科学に偏向していると思います。
残念なことです




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