柳川のこと
柳川のこと 2017.11.8
私は10月に柳川に滞在中、立花家の菩提寺である「福厳寺」(ふくごんじ)も訪ねました。
福厳寺は、「御花」のすぐ東隣りにあります。
石橋を渡って、山門をくぐると、白砂の広い庭があり、北側に本堂の大きな甍がそびえています。
この庭の周囲には、数多くの種類の花が咲いていました。
無造作に植えられていて、名を知らぬ花がたくさんありました。
福厳寺は黄檗宗で、宇治の萬福寺とつながりがあるようです。
江戸時代、(1620年ころ)初代の立花宗茂の再建になる、かなり古い寺です。
立花家の代々の藩主をはじめ、女城主として有名な「誾千代」(ぎんちよ)の墓もあります。
天風は福厳寺をたずねて、祖父の立花鑑寛(あきとも)の墓にお参りしたそうです。
私は、天風の父の祐興の墓もここにある、と思い込んでいましたが、それはまちがいでした。
祐興は中村家の名跡を継いだのですが、
実は姉の猷子(ゆうこ)の嫁いだ小野家(立花家の筆頭家老)で、
7歳から17歳まで育っているのです。
それで、たぶん姉の夫である小野勘解由(かげゆ)にその才覚を認められて、
長崎に遊学したのでしょう。
そして勘解由が三池の平野山の炭鉱主だったので、
その石炭を長崎で全国に積み出す経理の仕事をまかされていたのでしょう。
それで祐興はたいへん金持ちになったのです。
天風の父、祐興と母テウの墓は、
小野家の菩提寺である「慧日寺」(えにちじ)の中に天風が建立したそうです。
慧日寺は、柳川のすぐ南の大牟田にあります。
私は知らないで、大牟田のあたりをドライブして、有明海の海岸を散歩したりしていました。
次回柳川に行くときは、慧日寺にも行ってみようと思います。
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