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意志の煥発

意志の煥発      2018. 7. 25

                     天風メソッド 12



 
宇宙はたえず進化向上しようとしています。

だから、それにあわせて、人もたえず自己および社会の進化向上に努力することによって幸せになれるのです、

意志は霊魂から出てくるものです。

意志は、感情や理性とちがって、心に存在するものではないのです。

多くの人がこの点をまちがえているようです。

「私は意志が弱いから、強くしたい、どうしたらいいでしょう?」

と言う人がいます。

それはまちがいで、意志は霊魂に所属しており、すでに強固なものです。

だから、ただ意志なるものは煥発したらいいのです。


意志は、理性よりも強い支配力を人の生命の全体にもっているのです。

それに対して、理性は進歩性のあるものだから、
研きをかけることによって進歩するのです。

意志を煥発する方法は、ただ一つ“心の積極化”です。
そして、心を積極化する具体的な方法は、とくに

1. 潜在意識の改善
2. 瞑想
3. 自律訓練(=暗示の誦句をとなえること)
   の3つです。

つぎに意志に関する天風の誦句を掲げます(『天風誦句集(2)』)

3.意志の煥発 

宇宙の原則、進化向上に順応するには、

つねに自分の知識と能力の最善を尽くし、

たとえいかなる仕事に対しても、

自分のなさねばならぬ義務を遂行し、

他人に迷惑をかけず、

あらゆる誘惑や困難に負けないで生きるのが、

永遠不変の人生真理である。

そして、この人生真理を現実化するには、

真我の所有である意志を煥発することである。

なぜなら、意志なるものは、自己の生命を支配する

最高の権能をもっているからだ。             

したがって、この尊厳なる主体性(1)を瞬時といえども、

おろそかにすべからず。 

【注解】(1)
この尊厳なる主体性というのは、<自己の意志を煥発すること>をさしている。意志というものは、自己の生命を支配する最高の権能をもつ、という“主体性”そのものだからである。


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近況報告

近況報告

私どもは、今年の夏はいろいろ事情があって、 信州の山荘にいくのをあきらめました。

毎日38度以上ある酷暑の京都でがまんしております。


毎日墨書をしています。

墨書というのは、書道というような芸術的なものではなく、 ひたすら天風誦句を書いているのです。

写経みたいなものですが、写経よりもっと楽しく書いています。

とはいえ、これを私は「官能の啓発」の一環と考えて います。

視覚をみがくということですね。


それから音楽の勉強みたいな、キーボーデイングを毎日 やっています。

指一本でおはずかしい話ですが とても愉快です。

童謡や唱歌をたたいています。はずかしい限りです。

それ以外では「シューベルトのセレナーゼ」とか 歌謡曲では「北国の春」などです。

これも「官能の啓発」と私自身は自分に言っています。

聴覚の啓発ですね。


それに最近は短歌をやりはじめました。 万葉集から永田和宏氏の「現代秀歌」まで、

時代をこえて 読んで勉強しては、自分の短歌をひねっています。

次回にましなものを披露させていただきます。

暑い毎日です。皆さんのご自愛をねがいます。

沢井淳弘

心身の完成 (後半)

天風メソッド 11

 

『真理行修誦句集』(2)より

 

2.心身の完成  (後半)

 

知らずや、たとえ名工名匠といえども、

その用具の全きものなくば、

あたかも腕なきに等し。

されば、われ人ともに真にその人生に安定(あんじょう)せんには、

ただ一念、わが命の要具たるこの仮相の存在(1)を

より良く完からしむことを心がけるべし。

かくして、はじめて人としての正しき幸いを

享くることえん。

悟らざるべからず。

努めざるべからず。

 

【注解】


(1)仮相の存在=心と肉体

 

【解説】

 人の実体は霊魂であり、霊魂は不滅です。

 それを表す禅の言葉に

「闇の夜に鳴かぬ鴉の声聞けば生まれし前の父ぞ恋しき」

という有名な短歌があります。

「鳴かぬ鴉(からす)の声」は聞こえない。

ですから「声なき声」を聞くということです。

いいかえると「深い静寂に耳を澄ませる」という意味です。

「生まれし前の父」とは「昔から続いている見えない命」ということですから

「霊魂」のことを言っているのです。

 

したがって、この短歌の意味は、

「声なき声を聞けば、自己の本体が永遠不滅の霊魂だと分る」

ということになります。

 

死とは、生まれる前の自分に還るということです。

つまり霊魂は永遠不断の一貫した実在です。

生死恐れるべからず、です。

宗教的にいえば、死とは“神のふところに帰る”ということです。

 

最初に紹介した禅の短歌は、沢庵のつくったものとか、

一休禅師の言葉という説をとなえる人がいますが、

それはまちがいです。

それ以前から禅宗に伝わる言葉なのです。

 

上の短歌と同じ意味をあらわす言葉に

「父母未生以前、本来の面目とは何か」というのがあります。

これは、夏目漱石が鎌倉の円覚寺に参禅したときに

釈宗演禅師からもらった公案です。

漱石ほどの偉い人でも、この禅の言葉がわからなかったようです。

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