筆で誦句を書く
墨書 2018. 9.24
最近、天風誦句を墨書しています。まえにふれましたが。
半紙にちょうど収まるように、行数を10行くらいになるように
誦句を短くしたり、省略することもあります。
書家・石川九楊は「現代の書は言葉を伝えるものにあらず、筆触の美を表現し、黒白のつくりだす妙味を創造するものだ」という意味のことを主張しています。そして現代の書道はほぼすべてこの方向をめざし、言葉の表現伝達を拒否しております。
私は書の達人としての九楊をたいへん尊敬していますが、この考え方を採用しません。
書はあくまで言葉を人に伝えるものだと考えております。
したがって、現代の日本語の文章を筆で描くのです。
読めもしない漢字の羅列や、昔の読みずらい仮名は一切つかいません。
時に大いに続け字、くずし字も使いますが、どこまでも現代の人が読めるような字を書きます。
天風誦句の手本がありませんから、自分で勝手に工夫しています。
我流と言われても甘んじてうけます。
天風先生の誦句を墨書したものがありますが、私はまねしたくないのです。私は日本の文人の書の流れをくむのが好きだからです。
会津八一や顔真卿を私はかって手本として勉強しましたが、あまりとらわれないようにしています。
下の写真は私が書いたものを厚美濃の和紙に裏打ちして、手すきの厚紙にはりつけた、いちおう作品めかしたものです。
自律の訓練
天風メソッド 15
自律訓練法について
自律訓練法というのは、“暗示の誦句をとなえること”を深層心理学でいう言葉です。
さて、「暗示の誦句」は英語ではaffirmationアファーメイションといいます。
天風先生はこのアファーメイションについて、ラマチャラカという人の著作で学び、それがネパールでのヨーガ体験と符合したのです。
その体験とは、ヨーガ村の山腹に粗末な石碑のようなものがたくさんあり、そこにヨギが刻んだ言葉があります。それをカリアッパ先生が英語になおしておしえてくれた。それらの言葉を暗示に使うと、心理学でいうアファーメイションと同じものになる、と天風は気がつきました。
ヨギ・ラマチャラカは
「ラジャ・ヨーガの教え」(1905年)という本を書いています。
天風先生は
「この本を読んで、自分がネパールの山奥で修行したヨーガの哲学的な説明を得ることができた」
とのちに語っておられます。この本のなかには天風誦句の原型となるものがたくさんあります。
ラマチャラカの誦句の一例を示しますと、つぎのようなものです。
(無題)
私の本体は意志をもっている。
意志は、わが霊魂と直結した権能である。
私は修練によって意志を煥発しよう。
心はつねに意志に従う。
私は心と体を自由に使いこなす。
私の意志は力強く、エネルギーに満ちている。
私は自分の力を感じる。
私は強い。
私は、意識、力、エネルギー、の中心であり、
これが私の本来の面目だ。
このようなラナチャラカの誦句は素朴であり、同じような語句の連立ですが、天風の誦句はもっと理由づけや展開があり、力強く肯定的で、はるかに優れています。
天風の誦句は信念を煥発してくれます。
毎日天風の誦句をとなえていると、現代的な得体のしれぬ不安などがしだいに消えていきます。
天風の誦句によって私は救われた、と思います。
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