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天風と2・26事件

 中村天風の2・26事件との関わりを、お話しすると、天風の政治や社会に対する考え方がいくらかわかるでしょう。そこで、
 今日は中村天風と2・26事件の話をします。
 天風は2・26事件で、死刑にならないまでも、有罪で禁固刑となる可能性がありました。
なぜなら、天風の愛弟子であった西田税(みつぐ)が2・26事件の直後、逮捕され有罪となり、翌年に銃殺刑となったからです。しかも、事件の前夜、西田税は天風宅を訪れ、なにごとをか相談したという事実があるからです。
 
 西田税は、国家社会主義をとなえる思想家として、当時有名てした。
 また、国家社会主義を主張した北一輝と親交がありました。北一輝も西田と同じ日に、銃殺刑になっております。 さらに、西田は、2・26事件の首謀者であった安藤輝三大尉と、事件の前に何度か会ったという事実もあります。
 西田税や北一輝の政治思想が2・26事件に影響をあたえた、と考えられたので、彼らは死刑になったのです。


 2・26事件と言うのは、昭和11年2月26日におこりました。
 その日、雪の降り積もる未明、陸軍の1400名もの若い兵士たちが、東京のど真ん中で軍事クーデターをおこしたのです。

 このクーデターは、22名の青年将校が指導するもので、彼らは当時の軍部と軍需産業界と政府が金銭的な癒着をして、政治が腐敗していることに憤慨し、政治問題を武力で解決しようとしたのです。


 国民の多くは、彼ら青年将校の正義感に感激して応援しました。
 しかしクーデターは失敗におわり、彼らの多くは(19名)軍事裁判でただちに有罪となり、その年のうちに死刑となりました。死刑ときいて涙を流した人も少なくありませんでした。
 
 クーデターでは、斎藤内大臣、高橋大蔵大臣、などが射殺され、渡辺教育総監、鈴木侍従長などが重傷をうけました。国会、首相官邸などが占拠され、首都は制圧されました。岡田首相はうまく逃げました。

 
 西田税は、元将校ですが、軍人というよりは、政治思想家であり、憂国の志士です。
 彼は、頭山満の門をたたいて、人生や政治について話し合いました。
 それが縁で、天風にも教えを求めるようになったのです。

 天風哲学は個人の生き方だから、社会性がないと思われますが、、天風自身は社会性のある人で、激情家であり、正義感でした。そして天風は恵まれない人々に強い同情をもち、労働者の味方でした。それが結局は会社の利益につながり使用者側の利するところともなったので、天風はよく企業家から労使の調停を頼まれたのです。

 西田税は、憲兵隊のきびしい取り調べを受けたとき、事件の前夜、中村天風の家に行ったことを認めざるを得ませんでした。それが天風が憲兵隊の特高課の捜査の対象となった原因です。
 天風の家でどんな話があったか、西田はたずねられました。
 西田は、天風がただ
「君側の奸は、もって誅すべし」(=天皇の近くにいる悪いはつは殺すべきだ」
と、言われた、と答えたそうです。
 これが大きな問題となりました。

 天風の弁護団は、その言葉は言わなかった、と証言してください、と頼みました。
 しかし、天風は
「男に2言なし」といって、聞き入れません。
 「その言葉は秦の始皇帝が言ったことばだから、おれを有罪とするなら、始皇帝も逮捕しなけりゃならないね」
と、言ったそうです。弁護団はたいへん困ったそうです。(つづく)




























 
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