安定打坐考抄・解説 (10) 2015.10.2
安定打坐考抄・解説(10)
p34~37
この天地には、宇宙の大生命がある。この大生命は、万物の活動をすすめる力の本源である。この大生命があればこそ、宇宙に存在する万物は、それぞれの活動にいそしんでいるのである。
だから、万物の生と死は、すべてこの大生命の活動の結果にすぎない。
「万物の流転は、宇宙の実相なり」
と言われる。
(付記―この意味は、すべてのものは、宇宙の中から現れて、宇宙の中に消えていく。これが宇宙のほんとうの姿である。)
したがって、この真理を根拠として、人の命とはないか、を考えると・・・
人の命とは、宇宙の大生命の中から生まれ出た、一つの小さな命である。私たちの生も死も、宇宙の大生命の支配をうけて現れる幽玄な(神秘的な)現象である。
唯物論者や科学者の多くが、相対的な現象だけをとらえて論じている生死はまちがいである。
宇宙の大生命は、すべてのものを創造した力の本源である。そして、人の生死は、宇宙の大生命の活動の現れにほかならない。
もっとつっこんで言えば、人の死は、個別的な現象の小動から、本体である大生命の大動に入る、ということである。
本体の大生命とは大海のごときもので、個別的な現象である人の命は、大海の中の一滴の水のごときものである。
宇宙の大生命も人の生命も、同じ水であることに変わりはない。
私たちが実習する安定打坐密法は、寂滅の声なき声(付記―ブザーや鈴の音を聞いたあとの、シーンとした静かな声)と同化するのだが・・・
これは、言ってみれば、小さな人の生命からはなれて、宇宙の大生命に没入するということである。さらに言い換えれば、人の小動から宇宙の大動に入るということである。
したがって、安定打坐密法を行うと、先述した「動中静」
の心境に入れる。(付記―宇宙の大動とは「声なき声」だから「静」に該当する)
だから、安定打坐密法を日々実行すれば、いかなるときでも、悠々として落着きのある生き方ができ、煩悩即菩提の安心した境地に生きられる。
そして、動中静の境地に入る習慣をつくると、だれに教わらなくとも、人間の本来(=ほんとうの人間の生き方)が悟れるのである。
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