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がんばらない 2015.11.4


がんばらない

曽野綾子の本がよく売れているというので、2.3冊買って読んだことがある。
いずれも、その主張は、「がんばるな、気楽に生きなさい」ということであった。
そんな分かりきったことを、わざわざ本を買って教えてもらわなければならないのだろうか。
それに「気楽に」といっても、気楽にできない人々もいる。気楽に生きる方法が分からない人もいる。

たしかに、この激しい競争の時代に、日本の人々は「がんばれ、負けるな」と追い立てられて、疲れているのであろう。

かって、私がニュージーランドの大学で1年間教えていたとき、時折日本と、日本に生きている自分を、客観的に見えたことがあった。
その時、日本とアメリカが世界のなかでも、気違いじみた競争の文化圏だと感じた。
そこで生きていた自分も、その競争の渦中にまきこまれて、余裕のなかったことを反省した。
NZは日本のような競争社会ではなかった。多くの人は他人を思いやる余裕があった。
私が教えた学生たちは、きびしい受験を経験していなかった。
21歳になると、だれでも無条件で大学に入れる。
彼らは、日本の基準からいえば、「がんばらない、気楽に生きる」人々だった。
彼らは、私の教える「日本語・日本文化」の単位をとるために、生徒どうし、大いに助け合うのだった。

 ところで、我らが天風哲学の教えるところ、を考えてみるに、その哲学は「積極的に生きよ」と教えており、「つねに意識を明瞭に」「官能をたえず啓発せよ」などと言っている。
とり様によっては、休むヒマなく、ガンガン前進せよ、がむしゃらに押していけ!というふうにとれるかもしれない。それは大マチガイである。
もちろん生き甲斐ある人生に生きんには、がんばらなくちゃならない時もある。
しかし、同時に「がんばらない、お気楽に、バカになって生きなさい」なのである。
人生は、要するに、「がんばる」「がんばらない」の2つの姿勢が交互におこなわれて、はじめてフローする(自然に流れる)のである。
クルマのハンドルと同じく、人生にも「あそび」がいる。
天風哲学の「あそび」の一つは、安定打坐密法(天風式瞑想法)である。
安定打坐法ほど気楽で、がんばらない時間はない。
安定打坐法は気楽の極地であり、がんばらない、の最たるものである。
というより、安定打坐密法は、自然に「がんばらない、気楽に生きる」コツを身につける方法、というのが正しいかもしれない。

思い起こすに、天風先生ほど気楽に生きている人はなかった。しかも断然ポジティブに生きておられた。真剣に講話をされるのだが、肩に力がはいっていることは絶対になかった。







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