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天風先生のファミリー・ヒストリー 2015.11.7


天風先生のファミリー・ヒストリー

原田信の『中村祐興小伝』という本がある。
この本で天風先生の出自、血統がひじょうに明確になった。
この本には“―天風を育んだ開花人―”というサブタイトルがついている。
10年前に出版された本だが、私は先日読んで、私がかって主張していた天風の系譜について、確信をえた。
天風のルーツについては、松原一枝の本があるが、これは大きな誤謬をふくんでいる。
原田の『中村祐興小伝』は、一次史料をたくさん使って、天風の父、祐興の出生と系譜を明らかにしている。
むつかしい本で、おすすめはできない。

祐興の母は、千代子である。
千代子は、福岡県の柳川藩の藩主、立花鑑賢(かんけん、orすけかた)の側室となった。
(天風先生はよく、私の祖父は鑑徳だ、と話されたが、なにかの間違いである)
千代子は猷子(ゆうこ)という女児を産んだ。
この猷子が祐興の姉になる(異父)。

千代子さんは、美しい人であるばかりか、精神的にもすぐれた女性だった。
鑑賢自身がほめたという話が伝わっている。
千代子は、実家の中村家に跡取りの男児がいないので、鑑賢の許しを請うて、中村家にもどり、藩士西田一甫と結婚した。そして、長男祐興がうまれる。(1829年)

祐興の誕生は、中村家を狂喜させたが、それ以上に、祐興は、健康で頭もよく、将来性が大いに期待された。
祐興はその期待に応える成長ぶりで、鑑賢までも喜ばせた。
祐興は長崎に遊学し、英語を学んだ。
また、坂本竜馬とその貿易会社である「亀山社中」の浪士たちと知り合い、竜馬に金銭的な援助までしている。
祐興は自由につかえる巨額の資金をもっていた。
なぜなら、姉の猷子が嫁にいった小野家は石炭を採掘して、大金持ちになっていて、その潤沢な援助があったようだ。
それに、祐興は小野家の石炭販売にたずさわって、会計を任されていたようだ。

祐興は、明治2年、滋賀県知事(当時は権判事―ごんのはんじ―という)に命ぜられ、敏腕をふるった。
当時、琵琶湖に大洪水があり、その救済のため多額の公金を投じた。
それで人々の非難の嵐にあったが、のちに中央政府は、祐興の勇断と政治力を高く評価し、大蔵省にむかえた。
祐興が滋賀県の知事であったころ、大阪では五代才助が知事をつとめた。
五代については、今NHKがやっている朝ドラの「あさが来た」に出てくる。









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