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天風の父、祐興のこと 2015、11.11


天風の父、中村祐興のこと

前回、天風先生のお父さんの祐興(すけおき)のことを書きました。
今回は、それを補足して、祐興の生涯のことを少し書きます。

まず、祐興が周囲の人から「開化人」と呼ばれていたことです。
これは、祐興が、進取の気象に富み、明治の文明開化のさきがけの一人だったことを示しています。
このような気象は、天風先生に伝わり、アメリカやヨーロッパに病をおして留学した果断な決心とつながっているようです。

祐興は、幕末の長崎で英語を学び、当時としては異数の英語会話力をもっていました。
その英語力も、天風先生に受け継がれたようです。

祐興は、のちに大蔵省で抄紙局長となり、紙幣のためのじょうぶな紙を発明しました。
従来の和紙製造の技術を生かして、絹の繊維を混ぜて、すばらしい紙幣用の紙を発明しました。
これは「中村紙」と呼ばれています。
専門家の間では、いまでも高い評価をうけています。

祐興は、一時、官を辞して、一介の製紙の技術者となり、薄給に甘んじて、製紙技術の開発に献身的な努力をした。
このような思い切った、「無私」の精神も、天風先生にうけつがれたのではないでしょうか。
祐興は、中村紙が発明できてから、ふたたび抄紙局長にもどっています。

祐興は、開化人といわれただけあって、明治4年に、「廃刀」の請願を政府の太政官に対して、行っています。
明治9年頃まで、旧士族は、あいかわらず腰に両刀をさして、往来を歩いていたようです。
祐興の請願は5年間、政府で論議されてから、採用され、明治9年に「廃刀令」が発布されました。

祐興は、肥後(熊本)の横井小楠に、実学(政治や経済学)を学んでいます。
横井小楠は当時、先見の明のある、もっとも優れた学者のひとりでした。
坂本竜馬も祐興と同じころ、横井小楠の塾で学んでいたらしい。
二人は話があったことでしょう。
坂本竜馬の、日本の未来を見る眼は、横井小楠によって養われて、と聞きます。
祐興も竜馬と同じような考え方をもっていた、と推測できます。

つまり、横井小楠は、徳川の身分制度をのりこえるところに、新しい日本の未来があると予言した人でした。
また、日本は貿易立国の道をあゆむべきだと提案しました。
それはそのまま、竜馬の行動につながっています。
そして、明治の日本は、まさに横井小楠の提案どおりのことを政策的に、実行したように思われます。






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