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中村天風と2・26事件 つづき

これは前回のつづきです。

 天風は、弟子の西田税が2・26事件にかかわったことで、憲兵隊の疑惑をうけました。
 天風は、きびしい追及をされました。西田は死刑になりましたので、天風もきわめて困難な立場に立たされたのです。

 天風の弁護団がつくられました。
 団長は、伊藤一雄という、京都の弁護士でした。この人は当時、「正義の弁護士」といわれた有名な弁護士です。その伊東一雄が、天風という人は知らないで、弁護を引き受けて、天風にはじめて会ったときの印象をその手記の中に書いております。私は先輩から、その手記の写しを見せてもらったことがあります。その手記には、およそ次のようなことが記されていました。
 「天風にはじめて会ったとき、その両眼に叡智を見たと思った。天風は私を見ると、にっこりと微笑された。天風の話しぶりは、まことに爽快で・・・声は清冽・・・相手を魅了してやまない人柄だった」
 ちなみに、伊藤一雄は、裁判で天風の無罪をかちとったあと、天風の弟子になっています。

 2・26事件の起こった当時の日本は、世界的な大恐慌のあおりで、多くの国民が貧困にあえいでいました。とくに東北地方では、餓死する人が多く出ました。若い娘さんたちが身売りされ、売春婦になりました。一方、軍部と財閥が癒着して、巨利をむさぼっていました。天風は義憤をおぼえ、貧しい人々に同情しました。

 北一輝と西田税の国家社会主義は、そのような国家的危機をなんとか打開したいという、切実な思いから生まれたものであり、天風はそれに共鳴していたことは事実です。
 彼らの国家社会主義というのは、
1、普通選挙の実施
2、言論の自由
3、男女平等
4、農地改革
5、財閥解体
6、天皇制は存続させるが・・・天皇のために国民がいるのではなく、国民のために天皇がいる。
 といったような考え方で、これは皮肉にも敗戦した日本が実現した民主主義そのものです。

 当時の日本の軍国主義のもとでは、天皇は神聖にして侵すべからずであり、天皇のために国民は滅私奉公すべきであったのです。
 しかし、憲兵隊の特高課は、取り調べの結果、天風は心身統一法を教える人であり、その会合は政治的なものではないと理解して、天風を有罪にはしませんでした。

 天風の考え方はきわめて明快です。
 つまり、
 「どんな政治思想をもつことも、個人の自由であるが・・・時代がかわれば、その政治も変化する。それは政治は理性によって考えられるからである。政治は科学的に合理的に考えるべきであり、理性は進歩し変化するものだ。天皇制は絶対的なものではなく、時代がさがるにつれて、変わっていくものだ。
 大切なのは国民の幸福であって、天皇といえどもそのために存在しなければならない」

 天風が先の戦争を、正義のたたかいではないとして反対したのは、うえのような考え(国家社会主義)に基づいているのです。



































 


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