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悟りについて



悟りについて     2015.12.. 12.

悟り、とはいったいどんなものか?
私は若いころから漠然と考えていたが・・・
悟りは、なにか遠いところにあって、人間の永遠の憧憬のような、雲霞のような・・・と感じていた。

しかし、私は最近、悟りというものを、ハッキリと自覚するようになった。

そのヒントとなったのは、天風先生の次の言葉、
「あなた方は、悟りというと、いつも向こう岸にあるようにおもっているんだね。そうではなく、悟りは真実がわかったときの気持ちだよ。だから、悟りというのは、自分のすぐそばにあることに、気がつかなきゃだめだよ」

この言葉は、天風先生の講話の記録テープのなかにあった。
数年前、私はそれを聞いた。
この言葉は、先生のご存命中に聞いた記憶がない。

それから、私は、悟りというのは、
あの天風式瞑想(=安定打坐密法)のときに感じる「シーンとした静かな気もち」をつかむこと、と確信した。

こんな話がある。
ある禅の高僧が、病に臥してくるしみ、心がなえて悩んでいたとき、ある人から天風先生のことを聞き、特別に嘆願して、枕頭に天風先生のご来駕をこうた。
天風先生は、当然ながら、その高僧をはげまされた。

そのときのことを、天風先生はのちに私たちに語って言われた、
「悟りを開いた高僧といえども、悟りを開いただけではだめなんだね。
悟った真理を実践しなきゃ。
悟りを開くことより、悟りを開いた後が大事なんだよ。
瞑想の「空」の気持ちがわかったら、毎日実践しなきゃ、なんにもならないよ」

私はだから、こう思っている。
一生、死ぬまで瞑想をやるんだ。
瞑想の境地を悟ったから、終わりということはない。
修行なんてむつかしく考えないで、瞑想を楽しむ工夫をしよう。

サンフランシスコに住んでいる作家のデイヴィさんは、
瞑想の境地を、do nothing, think nothing(=なにもしない、なにも考えない)と訳している。
これは名訳ではないだろうか。
禅では「空」「無」「無念無想」などと表現している。

デイヴィさんは、熱心な天風哲学の研究者で、道場を開き多くの弟子をもっている。
天風について数冊の著作がある。
プロの作家で、書道、華道、柔術など、日本文化に関する著作も多い。

だから、瞑想ほど楽な修行はない。
道元は、坐禅を「安楽への大門」と言っている。





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