fc2ブログ

一念集中  2016.01.04




あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

ところで、さっそくながら・・・
創造主は、人間にすぐれた「集中力」をあたえています。
それは鍛えると、ものすごい力を発揮するものです。

私事で恐縮ですが・・・
私は瞑想を真面目にするようになってから(51歳のとき)
集中力が高まったと感じています。
大学を退職してから4年間に、6冊本を書きましたが、妻は私が原稿を書いているのを見たことがない、と言っています。テレビを見たり、本を読んだり、絵をかいたりして、遊んでばかりいる、と言います。

実際、私は著述といっても、思いついたことを傍らの紙にちょっとメモするだけです。
それは集中力のおかげです。
思いついたことを言語化するときの集中力です。
私は自分が少しもすぐれた能力をもっているとは思いません。瞑想に助けられているだけです。
だれでも、
①  瞑想し、
② ただ眼の前の一事に、集中することを心がければ、
集中力が高まってくる。

天風先生はもちろん、驚異的な集中力のある人でした。人が何を尋ねても、パッとその問題に強力に集中し、正解が霊感的にひらめく、といった人でした。

「ただ、なにごとにも一念集中する」といえば、
心の休まる時はないじゃないか! たいへんな労力で疲れてしまうじゃないか! と思う人が多いでしょう。
それは真逆なんです。

一念集中というのは、その対象に心をはりつけることではありません。(それは執着)
その反対で、一念集中とは、ただ「心をしずかに澄ませる」ということです。

瞑想をすると、それが楽にできるようになります。
瞑想をたえず実行していないと、「心をしずかに澄ませる」ということができないのです。

一念集中とは「心静か」ということにすぎないのですから、心を休めているのと同じで、心はまったく疲れないのです。

緑の誦句集の4つめに「心の鍛錬」という誦句があります。
その冒頭の一文に、
「神は吾人人類に、鍛錬すれば必ず鉄をも切るべき、精鋭なる切れ味凄き、名剣を与えている」
とあります。
その意味は、
「神は、私たち人間に、きたえれば鉄を切るほどの、鋭い切れ味の集中力(=名剣)を与えている」
ということです。
この比喩はちょっと大げさですが、要するに「強烈な集中力、そしてひらめき」ということを表現しています。











少し大きい文字
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)