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正しき活き方 続き 2016.3.1


正しき活き方 つづき 2016.3.1

天風の書いた誦句集は、すべて天風の教えそのものでは、ありません。(まえにもふれましたが・・・)
誦句はすべて、天風自身が、自分をこぶするために書いた自己暗示なのです。
ですから、説明というものがありません。

天風誦句には、瞑想や誦句と関連する言葉が多いのですが、瞑想や誦句ということばは、一度もあらわれてきません。
ところが、多くの誦句は、瞑想の実践を前提にして、その気持ちから、発想されております。
そう考えると、誦句の中のおおくの表現が、かんたんに理解できるのです。

誦句「正しき活き方」の第2文
「最善にして最上のもの」(p32)というのは、瞑想や誦句をさしていっております。
瞑想や誦句によって
「境遇や人を恐れない」(p33)気持ちになれ、
「立派な自己の運命の主人」(同じ)となれるのです。
「意志の力」(p34)も同じことで、瞑想や誦句によって、意志が発動するのです。
そして、
「一息毎に、わが生命の中に躍動する微妙なる宇宙霊の力」
(p35)が感じられるわけです。

「境遇改善の誦句」(緑の誦句集11番目)のp38に
「私は私の日々の仕事に誠を失わない」
とあります。
仕事こそ「境遇改善」のかなめです。
王陽明の「事上磨練」(仕事によって自己を練磨する)を想起する人がおられるでしょうか?

実際、陽明学は、天風の時代の空気でした。
明治維新から8年目に生まれた天風のご両親をはじめ、親族、教師たちすべて、王陽明の哲学思潮の中に生きていました。
というのは、明治維新をなしとげた、幕末の志士たちは、陽明の影響を受け、鼓舞されていました。
西郷隆盛や吉田松陰たちが、陽明を懸命に学び実践しようとしたことは、周知の事実です。
天風先生の養父、頭山満は、西郷隆盛の志を継承した人です。

私事になって恐縮ですが・・・
私の祖父は、中江藤樹の塾の近く(滋賀県高島市)に生まれそだちました。それで、中江藤樹と吉田松陰を尊敬しておりました。
藤樹は日本にはじめて陽明を伝えた人であり、松陰は中江藤樹をとおして陽明を学んだひとです。
祖父は、私に陽明や松陰の考え方を教え込もうとしました。
それは昭和も戦後のことですが。
つまり、少なくとも昭和の初めころは、陽明、松陰の考え方は、色濃く生きてありました。

敗戦直後、この伝統は、完全に意識的に抹殺されました。
陽明とか松陰という名前さえ、禁句となりました。
最近やっと自由に研究され、多くに人が興味さえ持ちはじめたことに、私は驚いております。

天風先生は、陽明という人の名前を一度も、戦後の私たちには口にされませんでした。
しかし、天風先生の人生観の大きな部分は、陽明の哲学に合致しているのです。




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