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安心立命 2016.3.6



安心立命 2016.3.6

宗教家が「神」とか「仏」とかよぶものは、眼に見えないものです。
またその存在を(神の声)聞くことはできません。
神の声は無声の声です。
いいかえると、神の声は静寂です。
だから瞑想によって達する静寂は、神の声を聞いているといえます。
瞑想をして、心をシーンとした静けさにひたるとき、神と同化している。

昔の人々は、神や仏を眼に見える像として彫刻して、神像や仏像がのこっています。
昔の人々は、「見えないもの」であるということが、頼りなく思ったのでしょう。

「神」「仏」という表現は、あまりにも宗教的なので、天風はその代わりに「宇宙霊」という言葉を提案しました。
もっと科学的な表現を好む人が「宇宙エネルギー」とよぶのは、間違っていない。

天風がいう「神」は、キリスト教の神でしょうか、それとも神道の神でしょうか?
天風の場合、神道の神のイメージの方が強いでしょう。しかし、天風は、キリスト教をきびしく拒否するわけではありません。

天風はこう言っています。
「クリスチャンでも仏教徒でも、私の話を聞きにきたらいい。
それらの信仰を捨てたくなければ、捨てなくてもいい。より立派なクリスチャン、より良い仏教徒になりなさい。
しかし、ほんとうに私の人生観に共鳴する人は、キリスト教も仏教も必要がなくなるでしょう」

天風は、キリスト教のなかの「失楽園」の寓話を興味深く考察して、ここに看過できない真理がある、と考えました。それは『安定打坐考抄』に述べられています。
また、「はじめに言葉ありき」という聖書のことばを、これは真理だと感嘆している。

また、仏教の中でも禅宗の教えは高く評価している。
とくに禅の世界観、人生観、道徳観は自分の考えと同じだ、と言っています。
しかし、天風が禅とたもとを分かつのは、坐禅の方法です。
天風は禅宗の今の方法を否定する。
それは、ふつうの人は、禅宗では容易に悟れないからです。

天風は神道に対しては、面白い感じ方をもっていました。
神社の本殿に、神像ではなく鏡がおいてあることが、お気にいりだったのです。
鏡のような澄んだ心になろう、ということですね。
ただ、天風が神道をとくに研究された形跡はありません。

天風は、お寺やお宮さんに行ったとき、かならず両掌をあわせて拝礼されました。
それは信仰ではなく、敬意の表現でした。
天風は、世の中のすべての人に、敬意をもっておられた。それと同じ感じです。

「安心立命の誦句」(緑の誦句集)のはじめにでてくる「見えざる実在」という言葉ですが・・・
この「実在」というのは、哲学的な用語で、宗教的にいえば「霊」です。
科学的にいうと、「宇宙エネルギー」「宇宙生命」です。




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