無所得の得
無所得の得
天風は、弟子たちに多くのことを期待し、希望されましたが、とくに求められたことは、それぞれの生活の改善でした。
どのように改善せよ、ということを一言でいうならば、
無所得の得
ということです。
その意味は、「何ものにもとらわれず、得をしようという心がないと、結局は得をするものだ」
という仏教的な教えです。
所得がなければ暮らしが成り立たないのですから、ここでいう所得とは給料のことではありません。精神的な得るもの、ということです。
無所得の得
とは、要するに、仕事を人から引き受けるときに、その報酬を念頭においてするな、ということです。
とくに、これは社長クラスの人々への訓戒であったかと思います。
たいへん厳しい教えだ、と思われる人も多いでしょう。
最近、心身統一法を勉強する人の動機を考えると、健康とか仕事上の成功とか、金儲けとか、実利的な方が多いように見受けます。
天風の教えじたいは、健康法でもなければ、世の中で成功する方法でもないし、ましてや金儲けのためでもありません。
人の世のために何かをつくりだすために、その力を養うために、心身統一法はあります。
このような生き方を、霊性本位の生活といいます。
霊性本位でない、感情本位の生活、肉体本位の生活は、けっきょく人生を、苦しみや悩みの苦患の渦の中に、つき落としてしまいます。
「私は下根だから・・・できない」というような謙遜を、天風はとても嫌われました。
またその逆の「私はもうできている」といったような、うぬぼれた態度も同様に嫌われました。
そんなことを、今日思い出して、反省もしています。
少し大きい文字
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック
| ホーム |