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瞑想は一瞬間なり


瞑想は一瞬である   2017.4.13

去年の夏、信州の私の別荘でのこと、ある訪問客が、
私に瞑想について一つの質問をしました。
「もし、瞑想に没入して、そのまま元に戻らなかったら、どうしましょう?」
 私には想定外の質問でした。

私の頭は回転しました。昔、ある年配の人が私に瞑想について話をしました。
「瞑想というものは、正しい瞑想家に習わないと、精神的なリスクがあるそうですよ」
 私はその訪問客に、こう答えました。
「瞑想から日常の現実に戻れなかったら、
・・・それは危険なことでしょうか。そんなことは絶対にありえないのです」
なぜ絶対にありえないのか、その理由をそのとき説明できませんでした。
 
ところが、それから2,3日たってから、・・・
 当時私は、信州の山荘で、天風著『安定打坐考抄』の現代訳を執筆していたので・・・
その仕事にとりかかり、
たちまち、次のような天風の言葉が私の注意をひきました。
「有意実我の境地とは、・・・意識も感覚もはっきりとしていて、
しかもそれらを超越し、思考と感情は滅却している・・・そのような一刹那をいう」
 この文をみて、私はなんども読んだこの本の心の部分をいままで気なしに読んでいたことに、
驚きました。
「有意実我」とはすなわち“瞑想の状態”です。

 そう、正しい瞑想の状態とは、一瞬なのです。
あのシーンとした深い静かなきもちは、刹那しか続かないものなんです。
 だから、瞑想に没入して日常の現実にもどれないということはありえない。
むしろ、多くの瞑想家がまちがっているのです。彼らは30分瞑想するとすれば、
30分の間、なにも考えない状態にいるはずだ、と考えている。
 
真実は、こうです。
正しい瞑想家は、30分坐ってる間に、なんどもくりかえし、
あのシーンとした静かな気持ちへ自分の心をもっていくだけで、
たえず、日常にひきもどされる力が働いているのです。
その後天風のCDの講演録になかに、その説明があることに気がつきました。
 
少し大きい文字天風はこう言っています。
「瞑想の気持ちになれるのは、ほんの2,3秒です。長年練習すると、
それが20秒、30秒になりますが・・・私は1,2分つづくくらいです」
 瞑想のあいだにふっといろいろな雑念がわいてくるものです。
それを恐れることなかれ。雑念がでたら、
ふっとまたあの深い静けさに、心をもどす練習をすればよい。
くりかえし、くりかえし。




少し大きい文字
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