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縁ということ


縁というもの 2017. .6.2

縁というものは大切なものです。
縁というものは、不思議な力をもっています。
仏教では、
「袖すり合うも他生の縁」といいます。

しかし、多くの人は、
縁がなぜそのように人生にとって大切なものか
理解していないようです。
しかし、縁を軽視すると、
心ならずも悪い運命を招くことになります。
その結果、人生を不幸なものにしてしまう。

英語で、縁はKarma(カルマ)といいます。
これはサンスクリット語で、昔から日本では「業(ごう)」と訳されていますが、
むしろ「天意」と訳すほうがよい。

縁は、不可思議な人生の旅路の「道しるべ」となるべきものです。

ですから、つねに縁を大切にし、縁に従って生きることが幸福への道となるのです。
縁を無視して生きると、知らず知らずのうちに、
形容のできない苦悩の中に陥っている自分を発見することになります。
なぜなら、人間の心のなかにある欲望は、つねに完全に満たされることを求める傾向があるので、
実際には自分の思い通りに世の中は動かないので、
強い要求不満に苦しめられるからです。

自分にあたえられた境遇を、縁のしからしむるところと考えて、
縁に従って生きてゆくと、ほんとうに安心のできる境涯に生きられるのです。

縁の中でも、特に奥深く大切なものが、4つあります。
1. 親子の縁
2. 夫婦の縁
3. 主従の縁
4. 師弟の縁
です。

1. の親子の縁は、血統の相続という重大事を行うためです。
2. の夫婦の縁も、血統の相続という重大事を行うためです。
3. 主従の縁は、仕事上の苦も楽も共にし、相信じあって生きるために結ばれたものです。
4. 師弟の縁は、縁のなかでももっとも重要なもので、絶対的なものです。なぜなら、人生真理をともに分かち合い、末永く後の世代まで伝承する縁だからです。これは、魂を分かち世襲するという「分魂世襲」ともいわれます。

このような縁の消息については、正しい瞑想を実践して自己の霊性が発現しないと、
理解できないものかもしれません。
低次元の本能的な欲望にのみとらわれている人には、
納得のゆかいないものかもしれません。

私はかって、縁などというものは昔の古い迷信だ、くらいに考えていましたが、
瞑想を20年以上するようになってから、縁を大切に感じるようになってきました。
なぜなら、人間にはどうしても不可能な、天意的な限界が人生にはあると感じるからです。
その限界にあるのが、縁とよばれるものではないでしょうか。





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