天風の子供の頃
天風の子供のころ 2018.1.14
天風は幼名を「三午」といいました。
午(うま)の年の、午の日の、午の時刻に生まれたからです。
天風は
「おれは馬の年、馬の日、馬の時刻にうまれたんだ。それで三午とよばれたんだが、
それで生まれつき<はねっかかえり>なんだろうな」
と言われたことがあります。
天風は生まれたとき、前歯が2本すでにはえていた、という人がありますが、
本当でしょうか。
たぶん普通の子供より早く歯がはえはじめたのだろう、と私は想像します。
天風の両親が、この子を占いに観てもらったことがあります。
その易者は、なんと思ったのか、
「この子は、油断すると、石川五右衛門のような大悪人になるかもしれん」
と言ったそうです。両親はたいへん心配されたでしょう。
天風の本名は三郎ですが・・・三郎は小学生のとき、
照憲皇太后(明治天皇の妻)から「神童賞」というものを貰ったそうです。
これは本当でしょうか。
三郎は6歳のころから柔道と剣道をまなびはじめ、どちらも並はずれて強かったので、
そういう賞をもらったのかもしれません。
三郎は勉強なんかしない子供だったようです。
天風は
「おれは子供の頃、頭は悪くなかったんだが、勉強などぜんぜんしない悪ガキでね、
織田信長の子供の頃の話をきくと、おれはそれに似ていると思うよ」
と、よく言ったものです。
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