TM 瞑想について
2月18日
最近、TM瞑想をする人がふえています。
TM瞑想というのは、「意味のない、短い言葉」をとなえることによって
集中をはかり、瞑想に入ろうとするものです。
しかし、天風式瞑想のくらべると、空の気持ちに入ることは、
なかなか難しいものです。人によっては、ある程度「無我」の境地に
入ることはできるかもしれません。
しかし、無念の境地に入ることは至難のわざです。
TM瞑想は、目をとじてやります。これは感心できません。
目をとじて瞑想をしようとすると、眠気が生じやすいだけでなく、
瞑想の求める「感覚の明澄」ということができません。
正しい瞑想は「半眼」で、1メートルほど先に視線をおとすのです。
瞑想についての世間の誤りは
瞑想のとき、感覚もなにもかも消えてなくなる、という
思いこみです。
瞑想のとき、感覚は明澄で、はっきりしているものです。
ただ、感情と思考は消えます。
つまり、瞑想のとき、音が聞こえたり、半眼に目の前にあるものが見えている
わけですが・・・その音や、目の前にあるものについての
感情は起こらないのです。
たとえば、クルマの音が聞こえても
怒りや悲しみ、あるいは喜びなどの感情はわいてきません。
また、クルマの音について、あれこれ考えません。
これが瞑想の正しい状態です。
TM瞑想では
「シリム・ヒリム・エング・エンガ」
といった意味のない言葉をくりかえして、集中をはかろうとします。
そのとき、雑念妄念は薄れるでしょう。
しかし、言葉を集中に利用するというやり方は、その音声のもつ
一念が心にのこり、無念無想にはなりがたいものです。
お気づきかもしれませんが・・・
「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華」といったお題目を
となえるのも、一種のTM瞑想です。
ただ宗教的才能のあるひとは、この種の瞑想で、ある程度の
高い境地に入ることがあるのでしょう。法然や日蓮はそういった
すぐれた宗教家だった、と考えてもいいでしょう。
しかし、ふつうの人にはなかなか
お題目をとなえて、瞑想に入ることは困難です。
天風式の瞑想は、ただ音に耳をかたむければいいので、
とても易しく、効果的です。だれにでもできる方法です。
天風式瞑想こそ、現代的で合理的な瞑想の方法です。
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