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愛の人天風先生



4月2日 2014年

直接天風を知らない人々は
天風といえば、厳粛で、近寄りがたい人
という印象をもっておられることが多い。
しかし、天風は、もうひとつの違った面、つまり
愛の人という面もありました。
性的な愛についても、おおらかでした。
夫が冷酷であったので不倫の恋にはしった女性を
弁護し庇護されたエピソードもあります。

これは、東京のある女性から聞いた話ですが・・・
夏の修練会で、女子高校生ばかり10数名あつまって
天風先生と円座になって昼食会をしたときのこと・・・
食後に先生は、女子高生たちに一言お話になった。

「女の子は、男の子に好かれるようになるといいね。
男の子は、女の子にすかれるようになるといいね。
さらに、女の子はほかの女の子に、
男の子は、ほかの男の子に
好かれるようになると、もっといいね」

と言われたそうです。
この単純明快な話のなかに、私は愛にかんする
天風先生の奥のふかい哲学を感じます。

天風先生は「愛」と言う言葉を使うのをさけられました。
天風先生は「愛」というかわりに「好きになる」「好かれる」
を使われました。また「思いやり」をつかわれました。
また、真善美のなかの「善」とは「愛」のことです。

(愛にはキリスト教や、恋愛の連想があるので、
さけられたのではないでしょうか)

「善」とは、すべての物、すべての人への愛でもあります。

天風先生は、夏の修練会では、日本刀をつかった荒業(あらわざ)
をよく披露されました。
たとえば、日本刀を2本、刃(は)を上向きにして、木の枠組みに
固定し、その刃のうえを素足で歩いて渡る、というような荒業です。
しかも男の弟子どもに、おなじことをやらせました。
これは集中力と胆力の訓練でした。

日本刀の刃というものは、直接手や足を押しあてただけでは
なかなか切れないものです。でも、刃をちょとでも滑らせるとスパッと
切れます。

こんな荒業をやる先生と言うものは
とてもきびしい印象がありますね。
じっさい、天風先生は、きびしく尊厳で犯しがたいものを
もっておられました。
しかし、反面「愛の人」でもあったのです。

緑の「誦句集」のなかに、天風の次の言葉があります。
「・・・わが心のなかに、なにものをも憎まざる
愛の情を豊かにすることに専念しよう。・・・
この心がけの徹底にひたぶる精進をなそう!・・・」
















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