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皇太子のヨーロッパ訪問 2014.5.28

昭和天皇がまだ皇太子のころ、の話です。
(大正のおわりころ、1921年のことです。)
皇太子がヨーロッパへ親善の旅に出る計画が、政府から出されました。
右翼の人々から、モーレツな反対の声があがりました。
当時ヨーロッパは政情が不安定で、皇太子が暗殺されるかもしれない、と主張したのです。
皇太子はまだ19歳で、未来の日本の君主となるべき人でした。
反対運動の先鋒だったのは、頭山満でした。
政府は、皇太子のヨーロッパ親善訪問によって、ヨーロッパとの外交関係をふかめたいと考えていました。多くの人が賛成でした。
日本の世論は、賛成と反対の真っ二つにわかれ、激しい議論がおこりました。

皇太子が世界をひろく見聞することが、将来の国家元首として望ましい、と原敬首相は考えました。天風は、当時原敬の病気の治療にあたっておりましたし、原敬から話をきいて、皇太子のヨーロッパ訪問に賛成でした。

頭山満は、反対の請願書をつくり、多くの人に署名と血判を依頼しました。
天風は皇太子が無事帰国できるという、霊感を受け、父親同然の頭山満の依頼をことわりました。天風は、
「私の霊感では、訪問中の事故はない。頭山満先生のご依頼とはいえ、私は署名しない」
といったそうです。
もし皇太子に万一のことがあったら、天風は頭山満に勘当されるはずでした。

皇太子は結局ヨーロッパ諸国を訪問することになり、横浜から2か月の船旅のあと、ヨーロッパに着き、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、イタリアの5か国を訪問しました。そして事故もなく帰国しました。半年近い長旅でした。
帰国のお迎えのため、皇太子の馬車の走る沿道の群衆のなかに、頭山満も天風もいました。天風は、頭山満の仲間からすこし離れて、羽織と袴の正装をして立っていました。
皇太子の馬車が近づいてきたとき、天風はとつぜん群衆の中からとびだして、正装をもいとわず、馬車の前に両膝をついて、皇太子にむかって頭をさげたという。
警備の巡査が制止するいとまもない早業だったという。

頭山満はあとで天風に、
「こんたびは、おれの負けじゃ。おぬしの霊感は本物じゃったな」
といったそうです。

このとき天風は45歳、天風会の前身の組織をたちあげたばかりでした。
自分の霊感が的中し、頭山満の勘当をまぬがれたことを、天風はよろこび、また安堵されたことでしょう。

皇太子、裕仁親王は、のちに昭和天皇となってから、その晩年
「私の人生でいちばん楽しかったのは、あのヨーロッパ訪問の半年でした。なにしろ日本にいるときより、たくさん自由がありましたからね」
と話されました。これはテレビの記者会見で、私は感慨深く聞きました。






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