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心の鍛錬・誦句 2014.11.26


心の鍛錬

心を鍛錬すると、だれでも驚異的な注意力がでてくる。
そんな生まれながらの能力を、
神は人間にあたえている。
だから、ひたすら眼前のことに心を集中して、
心を鍛錬すべきである。

もし、まちがって心をうまく鍛錬しないでいると、
雑念だらけの心で、身を滅ぼすようなことになる。

昔から、優れた人々は、この真理をさとり、
なにごとにも集中して、心を鍛錬したのである。
また無知な人々は、心を鍛錬しないために、
自分の心の中にある雑念にふりまわされて、
注意力がなく、そのために苦しみ悩むのである。

だから、正しい人生を求める人は、
日常生活のなかで、
なにごとにも一念集中して、
すぐれた注意力を発揮すべきである。

   (緑の誦句集「心の鍛錬」の現代訳)

天風先生の書かれた誦句「心の鍛錬」には、比喩として
名剣とか名刀という単語がさかんに使われています。
しかし、日本刀に親しみのない、平和な現代では、これらの比喩は、あまり実感がないかと思います。
それで、私は上のような現代訳をしてみました。

天風オリジナルの誦句の好きな人は、そのままでいいでしょう。
天風の祖父は柳川藩の大名だった立花鑑寛でした。
だから、天風はたくさんの名剣をもっておられました。
私はそのコレクションを見せてもらったことがあります。
だから名剣とか名刀の比喩は、明治の人々には親しみがあったでしょう。

私自身は天風の直弟子ですから、オリジナルで満足しています。
というより、私は古風な人間で、戦国時代、幕末にとても関心があり、昔がすぐ昨日のことのように思えるのです。

でも、若い世代の人たちは、集中力、注意力ということで、この誦句を理解すればいいでしょう。
そしてそれらの力が大事なのは、雑念を払拭する効力があるからです。
そして、仕事がうまくいくかいかないかは、集中力、注意力のいかんに関わっております。

注意力を高める方法は、2つあります。
ひとつは、日常生活の中で、意識的になにごとにも注意を強くふりむけるという習慣をつくること。(有意注意力)
とくにつぎのような場合こそ、眼前のことがらに綿密な注意をそそぐこと。
1. 面白くないこと
2. 価値のないこと
3. 慣れたこと
4. 急いでいるとき
上の4つの場合、心はなおざりになりがちです。
この時こそ、心の鍛錬のときと考えて、注意を綿密にしましょう。

もうひとつ、注意力を高める方法は、
「五官を研く」(天風のことばでは、官能の啓発、認識力の
養成)です。

「見る力」を高めるには、視覚芸術を趣味とするのがいいでしょう。つまり、絵とか、書道とか、写真とか、です。

「聞く力」をよくするには、音楽的な趣味をもつことです。
音楽の鑑賞でもいいですが、いいかげんに聞かないで心をこめて聞くということです。
歌をうたうとか、楽器を演奏する趣味をもてば、さらにいいですね。
歌の上手な人は、歌をとてもよく聞いているものです。

天風は、70歳のころから、絵や墨書をさかんにされましたし、音楽では長唄をうたわれ、尺八を吹かれました。
いずれも玄人の域に達しておられました。





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