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霊性の発揮(2)

自分の本体は、心でもなければ肉体でもない。
自分の本体は、ただ一つの絶対的な霊魂である。
心も肉体も、霊魂のもつ道具にすぎない。

だから、心や肉体から発生する
煩悩に執着して、
低劣な気持ちに踊らされてはならない。
霊性心を発揮して生きれば、
自由自在の人生に生きられる。

だから、毎日かならず瞑想を実行しよう。
すると、霊門の扉は心の中で静かに開かれる。
そして、妙なる魂の囁きを聞くことができる。

(緑の誦句集の「霊性の発揮」後半の現代訳)

上の誦句の「低劣な気持ち」というのは、
消極的な、ネガティブな感情、
すなわち、卑しい欲望、競争心、嫉妬、憎しみ、怒り、といったものです。

「魂の囁き」というのは、
霊魂から出てくる判断である。良心のことでもある。

天風先生の愛読されたカントという哲学者は、
良心の働きが霊妙なもので、これに従えば人生に
間違いがない、と主張しました。

あるときカントは、ある大学から高額な給料のでる教授の職に招請されました。
カントはそのポストにたいへん魅力を感じ、
招請を受けたいと感じたのですが、
自分より優秀で適任の人のいることに気づき、
自分の欲望より良心、つまり魂の囁き、にしたがって、
その人を推薦し、自分は辞退しました。
その結果は、かえってカントの人格が高く評価され、のちにもっと有名な大学のポストに哲学教授として招かれることになりました。
それよりもカントは、自分の良心に従ったことに大きな感動を覚えた、と述懐しております。
カントの墓碑には、つぎのようなカントの言葉が彫られています。

「この宇宙には、美しい感動的なものが二つある。
ひとつは夜空に浮かぶ星座の数々であり、
もうひとつは、自分の心にそなわった良心である」

(これは原文のとおりではありませんが、
カントの言いたかったことは、良心(原文では道徳律)です。)

天風先生の人生観は、このカントの思いに強く、脈々とつながっていたと思います。









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