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私の病気体験(2) 


私の病気体験(2)-1   2015.3.13

今日は、私の病気体験のつづきを書きます。
私が49歳のとき、とつぜん腰痛を体験しました。
いわゆるギックリ腰に襲われ、3年ほど苦しみました。
2年過ぎたころから、若いころ学んだ天風哲学を復習――とくに天風式の瞑想(安定打坐密法)――して、腰痛を克服しました。
どんな病気でも、そのときは深刻ですが、かならず治るものです。(・・・と今は信念しています)
私の腰痛は、かなり重度のものでした。痛みにたえきれず、眠れない夜がつづきました。

京大病院、京都府立大病院をはじめ、市内の整形外科、さらに民間治療を行う、漢方、針灸、整体、整骨とか、あらゆるところへ通いました。まったくなんの効果もありませんでした。むしろ悪化するような感じさえしました。
腰痛を経験したという人のことを聞くと、知らない人まで電話をかけて、経験を聞かせてもらいました。全国のかなりの数のひとに電話したと思います。
しかし、不思議なことに私の症状はかならずどこか違っていましたので、あまり参考になりませんでした。ときには私に効かない真逆の方法を教えてくれる人もありました。私の場合は、柔軟性をたかめる必要のあるものでした。しかし、私の状態を知らない人は、腹筋を強化することなどを勧められました。
しかし、天風先生の瞑想(安定打坐密法)を学びなおして、私は急速に快方へ向かったのです。

18歳の時から12年間も天風先生からじかに瞑想を勉強したのに、私はその神髄をつかんでいなかった。
 瞑想がぜんぜん分かっていなかったわけではありません。
鈴の音(orブザー)に集中した直後におとずれる、あのシーンとした静けさ――それを私はもっとも深いところで感得できました。
それ以前は、瞑想をしていましたが、浅い静けさしか感じ取っていなかった。
瞑想のときに味わう静けさに「深度」があるのです。
ふつうの人は、浅い静けさしか感じていないようです。
深いふかい絶対的な静謐に達した時が、悟りです。
悟りは一瞬である、とむかしから言われています。
持続して修養せよ、という教えです。
じっさい、天風先生のように大悟徹底した人が、だれよりも熱心に実践され、精進され、努力された。ネパールの滝つぼのそばで瞑想し、草原に仰臥された瞬間に空を悟られたのですが・・・それで後はなにもしないでいい、ではなかった。
天風先生は、
「実践には、官能的な快楽が伴うようにもっていく」
と考えおられた。
しかし、これは説明がむつかしいので、あまりくわしい話はされなかった。けれども、ときどき、
「体操でも安定打坐密法でも、楽しんでやるんだよ。恋をしている時のような、熱い思いでやったらどうなんだ」
と言われた。
「天風訓言」のさいごの章は、きわめて難解ですが・・・
上のようなことを念頭に書かれたもので、先生自身への自戒でした。
上の「官能的な快楽」というのは、「恋をしたときのような熱情」ということです。







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