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安定打坐考抄・解説(6) 2015、8、22


安定打坐考抄・解説(6)

p22~25
 われわれが、さまざまな現象に接するとき、ふつう直ちに「仮相上」の妄想なるものが生じる。
 普通に生活しているとき、眼は物を見、耳は音をきき、鼻は臭いをかぎ、舌は食べ物を味わう。また暑さ、寒さを皮膚が感じる。それはまるで、波がたえまなく岸辺の岩に打ちつけるようである。
 また、一方心の内側では、喜怒哀楽や愛情、憎悪、欲望が生じている。(これを7つの情念という)
 さらに、病の不安とか、生死の懸念などが、たえまなく心に動揺をあたえている。
 ところが、これらすべて、人の内、外に生じることは、私たち人間の「仮相上」の妄想にすぎない。

 この仮相とはなんであろうか?
この仮相を知るためには、それの反対語である、実相についても知る必要がある。
実相とは「まことの性」である。
仮相とは「かりの質」である。

これを具体的に説明すると・・・
たとえば、雪、あられ、氷、霜・・・の実相は水である。まことの性は水である。水の「かりの質」となって現れたものが、雪、雨、氷、霜など、という仮相なのである。
ところが、普通の人は、私たちを喜ばせたり悲しませたりする、いろいろな現象が、仮相、つまり、かりの質のものにすぎないとは、なかなか悟れない。
悟れないのは、なぜかというと、雑念妄念が心のなかにあるからである。(天風はここでは「妄想念」という言葉を使っている)
人が自己の霊性を自覚できないのも、雑念妄念があるからである。
だから、人がほんとうに幸せな人生にいきようとすれば、この雑念妄念を、心の中から取り除かねばならない。
雑念妄念をかんぜんにとりのぞけば、求めなくとも、霊性は自然にあらわれてくる。(付記、雑念妄念のなかには、こだわり、悩み、執着、消極的な感情などがふくまれる)
霊性があらわれてくると、神人冥合という尊い境地がでてくる。神人冥合とは、人が神と一体になった妙境、絶対的な幸福感のことである。

神人冥合の境地にひとたび達することができると、まるで暗闇に明かりが一つ灯ったように、人生には希望がつねに明るく輝く。
安定打坐密法は、この神人冥合の境地にただちに達する方法である。

安定打坐密法は、「自己の実相」と「宇宙の実相」と同化させる。
安定打坐密法は、「自己の霊性」と宇宙霊を同化させる。
安定打坐密法のユニークな方法とは、身外に「無声の声音」を聞くことを利用する、ということである。
(つまり、ブザー音や鈴の音を集中的に聞き、その音の絶えた刹那の静けさに没入する。「無声の声音」とは「シーンとした静けさ」のことである。)
安定打坐密法を実践すると、自己の霊性が自覚されるようになり、信念も強くなる。

なぜなら、安定打坐法を行うと、心が純一無雑(明るく澄み切った感じ)になるために、すべての雑念妄念が消え去るからである。雑念妄念が消えると、心の力が強くなる。そして自己統御ができ、心身が統一される。





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